過去に発生した地震(1) 古墳時代〜平安時代

過去に発生した地震(1) 『古墳時代〜平安時代』 自然災害に備えるブログ Ready Japan 地震
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この記事は下記の方にお勧めです。

・過去に発生した地震について知りたい方
・歴史に興味がある方

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はじめに

太古から地震が発生していたことを疑う人はいないのではないでしょうか。地層を調べることにより、断層や津波の痕跡から、おおよその地震発生の年代を知ることがあります。

しかし、いつ、どこで発生したのかをある程度の確度で知ることができるのは文字情報、つまり、古文書が現れてからのことです。日本では、西暦416年(允恭5年)の遠飛鳥宮とおつあすかのみや付近で発生した地震が文字情報のある最古の地震と言われています。

この記事では、古墳時代から平安時代までに日本で発生した主な地震についてまとめます。

古墳時代

大和河内地震(西暦416年)

西暦416年8月23日(允恭5年7月14日)に遠飛鳥宮付近で発生した地震です。日本書紀に「五年秋七月。丙子朔。己丑地震。」との記述がありますが、被害の記述はありません。文字情報が残っている中では日本での最古の地震です。

飛鳥時代

大和地震(西暦599年)

西暦599年5月28日(推古7年4月27日)に大和地方で発生した地震です。日本書紀に「七年夏四月 。 乙未朔。辛酉地震、舎屋悉破。 則令西方、俾祭地震神 。」との記述があります。文字情報が残っている中では日本で最初の被害が発生した地震です。

筑紫地震(679年)

西暦679年1月(天武7年12月)に九州北部で発生した地震です。家屋の倒壊や、幅2丈、長さ3千余丈の地割れを生じたとの記述が日本書紀にあります。M7クラスで、水縄みのう断層帯(福岡県うきは市から久留米市に至る断層帯)によるものと考えられています。

白鳳の南海・東海地震(684年)

西暦684年11月29日(天武13年10月14日)に南海、東海、西海地方に被害をもたらした地震です。津波が発生し、土佐の船が多数沈没したり、土佐で田苑約10km2が沈下して海になったりしたとの記述があります。南海トラフで発生したM8クラスの巨大地震と考えられています。

奈良時代

遠江国地震(715年)

西暦715年6月30日(和銅8年5月25日)に遠江国とうとうみのくに(静岡県浜松市)で発生した地震です(続日本紀)。山が崩れて麁玉河あらたまがわ(天竜川)をせきとめ、数十日後に決壊することにより洪水が発生し、民家の水没や、田の損害が発生しました。M6.5〜M7.5の地震の規模と推定されています。714年に発生したとの説もあります。

三河国地震(715年)

西暦715年7月1日(和銅8年5月26日)に三河国(愛知県東部)で発生した地震です。正倉47棟や家屋の倒壊、陥没が発生したとの記述があります。M6.5〜M7.5の地震規模と推定されています。

畿内七道地震(734年)

西暦734年5月18日(天平6年4月7日)に近畿地方で発生した地震です。続日本記に「地大震。壊天下百姓廬舍。圧死者多。山崩川壅。地往往折裂、不可勝数(大地が大きく震え、天下の百姓の家が倒壊し、圧死者が多く出た。山が崩れ川を埋めた。大地が往往(あちらこちら)で裂けたが、数え切れない)」との記述があります。生駒断層の活動によるものでM7の地震規模と推定されています。

天平の美濃地震(745年)

西暦745年6月1日(天平17年4月27日)に美濃国(岐阜県南部)で発生した地震です。続日本紀に「是日通夜地震、三日三夜、美濃国櫓館正倉、仏寺堂塔、百姓廬舍、触処崩壊」との記述があります。また、余震が20日間続き、地割れや液状化の記録もあります。養老断層が活動したもので、M7.9の地震規模と推定されています。

美濃・飛騨・信濃の地震(762年)

西暦762年6月9日(天平宝字6年5月9日)の中部地方(岐阜県、長野県)で発生した地震です。続日本紀に「天平寶字六年五月己卯朔、丁亥、美濃、飛彈、信濃等國地震、賜被損者穀 家二斛」との記述があります。地震の規模はM7以上でM8だった可能性もあると推定されています。

平安時代

弘仁地震(818年)

西暦818年8月頃(弘仁9年7月)に北関東(群馬県、埼玉県)で発生した地震です。「 山崩れ谷埋まること数里,百姓が多数圧死した」との記録が類聚るいじゅう国史にあります。地震の規模はM7.5以上と推定されています。

京都の地震(827年)

西暦827年8月11日(天長4年7月12日)に京都で発生した地震です。京都を中心に家屋全壊が多数あり、余震が翌年の6月まで続いたことが類聚国史に記述されています。地震の規模はM6.5〜M7と推定されています。

天長地震(830年)

西暦830年2月3日(天長7年1月3日)に出羽国(秋田県)で発生した地震です。類聚国史に記述があり、秋田の城郭、官舎、寺社が悉く倒れ、家屋も倒潰し、圧死15、傷100余、地割れ多く、河岸の崩れや川の氾濫があったとされています。地震の規模はM7〜M7.5と推定されています。

信濃の地震(841年)信濃の地震

西暦841年(承和8年)に信濃(長野県)で発生した地震です。続日本後紀に墻屋が倒壊したとの記述があります。地震の規模はM6.5以上と推定されています。

伊豆国地震(841年)

西暦841年(承和8年)に伊豆国(静岡県)で発生した地震です。続日本後紀に建物や住民に大きな被害があったことが記録されています。丹那断層の活動によるものと推定されています。

出羽国地震(850年)

西暦850年(嘉祥3年)に出羽国(山形県)で発生した地震です。日本三代実録に「地裂け、山崩れ、国府の城柵は傾頽し、山裂け圧死多数。最上川の岸崩れ、海水は国府から6里のところまで迫った」との記録があります。地震の規模はM7程度と推定されています。

越中・越後地震(863年)

西暦863年7月10日(貞観5年6月17日)に越中・越後(富山県、新潟県)で発生した地震です。日本三代実録に「地大いに震いき。陵谷処を易え(地形が大きく変化し)、水泉湧き出で、民の廬舎を壊ち、圧死する者衆かりき。此より後、毎日常に震いき」と記述されています。地震の規模はM7以上と推定されています。

播磨国地震(868年)

西暦868年8月3日(貞観10年7月8日)に播磨国(兵庫県)で発生した地震です。播磨、山城(京都)で被害が発生しました。山崎断層の活動によるもので、地震の規模はM7程度と推定されています。

貞観地震(869年)

西暦869年7月13日(貞観11年5月26日)に陸奥国(三陸沿岸)で発生した地震です。城郭、倉庫、門櫓、垣壁などが崩れ落ち、倒潰するもの無数で、津波が陸奥国府(宮城県多賀城市)を襲い、千人が溺死しました。三陸沖の巨大地震と推定されています。

相模・武蔵地震(878年)

西暦878年10月28日(元慶2年9月29日)に南関東で発生したM7クラスの地震です。相模国と武蔵国で揺れが激しく、京都でも揺れを感じたことが日本三代実録に記録されています。伊勢原断層の活動によるものと推定されています。

出雲地震(880年)

西暦880年11月23日(元慶4年10月14日)に出雲国(島根県)で発生した地震です。日本三代実録に社寺、官舎、民家の倒潰、傾斜、破損が多く、余震は10月22日に至ることは記述されています。地震の規模はM7程度と推定されています。

京都の地震(881年)

西暦881年1月13日(元慶4年12月6日)に京都で発生した地震です。宮中や市内の建物が多く損壊し、余震が翌年まで続いたと記録されています。地震の規模はM6.4程度と推定されています。

仁和地震(887年)

西暦887年8月26日(仁和3年7月30日)に発生した地震です。東海・東南海・南海が三連動した南海トラフ巨大地震と考えられています。日本三代実録によると、京都では「諸司の倉屋及び東西京の廬舎、往々にして転覆し、圧殺せらるる者衆く、或は失神して頓死する者有りき」という状況で、周辺の地域では「五畿七道諸国も同日に大震ありて官舎多く損じ、海潮陸に漲りて溺死者勝げて計るべからず。そのうち摂津国尤も甚しかりき」と、特に摂津国では津波の被害も大きかったようです。地震の規模はM8.0〜8.5と推定されています。

京都の地震(934年)

西暦934年7月16日 (承平4年5月27日)に京都で発生した地震です。京中の築垣が多く転倒したとの記録があります。地震の規模はM6程度と推定されています。

京都・紀伊の地震(938年)

西暦938年5月22日 (承平8年4月15日)に京都と紀伊(和歌山県)に被害をもたらした地震です。宮中で4名亡くなったとの記録があります。また、高野山でも被害が発生し、諸伽藍破壊との記述があります。余震も多く、8月6日に強震がありました。地震の規模はM7程度と推定されています。

京都・近江の地震(976年)

西暦976年7月22日(天延4年6月18日)に京都や近江(滋賀県)に被害をもたらした地震です。京都では家屋の全壊が相次ぎ、50名以上が亡くなったことが記録されています。また、近江の国府・国分寺・関寺(大津市)に被害があったことも記録されています。地震の規模はM6.7以上と推定されています。

永長の東海地震(1096年)

西暦1096年12月17日( 嘉保3年11月24日)に東海道域で発生した巨大地震です。中右記によると、地震動が約2時間続き、東大寺の巨鐘の落下、薬師寺の回廊の倒壊、東寺の九輪の落下、法成寺の東西塔の破損、法勝寺の御仏等光の破損が記述されています。また、近江の勢多橋落ち、津波が伊勢や駿河を襲い、駿河で社寺や民家の流失が400余であったこと、余震が多かったことが記述されています。地震の規模はM8.0〜M8.5と推定されています。

康和の南海地震(1099年)

西暦1099年2月22日(承徳3年1月24日)に南海道(土佐)と畿内に被害をもたらした地震です。興福寺や摂津天王寺で被害があり、土佐で津波があったらしく、南海地震と言われていますが、畿内の内陸地震だったとの説もあるようです。地震の規模はM8.0〜M8.3と推定されています。

大和の地震(1177年)

西暦1177年11月26日(治承元年10月27日)に 大和国(奈良県)に被害をもたらした地震です。東大寺で巨鐘が落ちるなどの被害があり、京都でも揺れが強かったとの記録があります。地震の規模はM6.0〜M6.5と推定されています。

文治の京都地震(1185年)

西暦1185年8月13日(元暦 2年7月9日)に近江国、山城国、大和国に被害をもたらした地震です。京都の特に白河周辺の被害が大きく、社寺や家屋の倒壊や破損が発生し、多数の死者が出たようです。また、比叡山でも多くの建物が損壊し、宇治橋が落ちたりしています。余震も多く、8月12日の強い余震では被害があったようです。地震の規模はM7.4程度と推定されています。

まとめ

この記事をまとめます。

  • 文字記録が残っている最古の地震は大和地震(西暦599年)で、日本書紀に記述されています
  • 都があった奈良や京都で被害があった地震の情報が多く、地方で発生した地震の情報は少ない傾向があります

この記事は下記を参考にして作成しました。

防災システム研究所公式ホームページ
宇津徳治,2004,世界の被害地震の表(古代から2002年まで),宇津徳治先生を偲ぶ会,東京,電子ファイル最終版.
東京大学地震研究所 応用地震学研究室ホームページ
日本地質学会ホームページ

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