はじめに
太古から地震に伴う津波が発生していたことは地質調査で明らかになっています。
しかし、いつ、どこで発生したのかをある程度の確度で知ることができるのは文字情報、つまり、古文書が現れてからのことです。日本では、西暦684年(天武13年)の白鳳地震による津波が初めて記録された津波と言われています。
この記事では、昭和時代後期(1966年〜1989年)に日本を襲った津波をまとめます。

昭和時代後期(1966年〜1989年)
日向灘地震
1968年(昭和43年)4月1日に日向灘で発生したプレート境界地震により発生した津波です。最大全振幅が室戸岬で124cm、土佐清水で236cm、宿毛で224cmでした。
愛媛県、高知県、熊本県、大分県、宮崎県で地震による被害が発生し、負傷者が57人、住家の全壊が2軒、半壊が38軒、道路の損壊が59ヶ所でした。最大震度は5(宿毛市、延岡市)でした。
十勝沖地震
1968年(昭和43年)5月16日に青森県東方沖で発生したプレート間地震による津波です。地震発生後20分から60分の間に北海道および東北の太平洋沿岸に津波が来襲し、えりも町で最大2.7m、三陸海岸では最大5mの津波が観測され、浸水が529軒、船舶の流失や沈没が127隻ありました。昼間の干潮時であったことと、チリ地震津波後、海岸堤防や護岸など海岸保全設備が整備されてきたため、津波による被害は比較的小規模でした。
地震による揺れは東北地方の北部や北海道南部を中心に広い範囲で強く、青森市、八戸市、函館市、苫小牧市、浦河町、広尾町で震度5でした。全体の被害は死者が52人、負傷者が330人、建物の全壊が673軒、半壊が3,004軒でした。地震の規模はM7.9で、本震の約12時間後にはM7.5、6月12日にはM7.2の大きな余震がありました。
根室半島沖地震
1973年(昭和48年)6月17日に根室半島南東沖で発生した地震による津波です。波高は花咲で281cm以上、釧路で55cm、広尾で110cm、浦河で52cm、八戸で53cmでした。また、浸水が275軒、船舶の流失沈没が10隻ありました。
地震による被害は根室・釧路地方で大きく、死者が1人、負傷者が26人、住家の全壊が2軒でした。最大震度は根室と釧路で震度5でした。6月24日にはM7.1の余震がありました。
伊豆半島沖地震
1974年(昭和49年)5月9日に伊豆半島南端で発生した地震により、御前崎などに小津波がありました。
地震による被害は中木、入間、石廊崎で大きく、死者が30人、負傷者が102人、家屋の全壊が134軒、焼失が5軒でした。石廊崎から北西に長さ5.5kmの右ずれ断層が出現しました。地震の規模はM6.9でした。
浦河沖地震
1982年(昭和57年)に浦河と静内を中心に被害をもたらした地震により発生した津波です。浦河で最大80cmでしたが、大きな被害はありませんでした。
地震による被害は日高地方を中心に負傷者が167人、住家の全壊が9軒、半壊が16軒、鉄道の被害が45ヶ所でした。地震の規模はM7.1で、最大震度は6(浦河)でした。
日本海中部地震
1982年(昭和57年)に秋田県沖で発生し、強い揺れと津波で大きな被害をもたらした地震です。全体で死者が104人(うち津波によるものが100人)、負傷者が163人(同104人)、建物の全壊が934軒、半壊が2,115軒、流失が52軒でした。地震の発生から8分後には津波が到達しており、これは津波警報の発令(地震発生の15分後)よりも早く、津波による死者が多かった要因になりました。一方、揺れによる被害は秋田県と青森県に集中し、建物・道路・鉄道・堤防などに甚大な被害があり、液状化現象による被害も多発しました。
地震の規模はM7.7で、最大震度は5(秋田、深浦、むつ)でした。津波は北海道から九州にかけての日本海沿岸を中心に観測され、青森県から男鹿半島にかけて5~6m、北海道奥尻島では3~4m、佐渡、能登半島、隠岐では2~3mで、最大は震源に近い秋田県八竜町(現在の三種町)で6.6mでした。また、津波は朝鮮半島やソ連(当時)にも被害をもたらしました。さらに、6月21日にはM7.1の最大余震(青森県で震度4、秋田県で震度3)がありました。


秋田県能代市、男鹿市、三種町、八峰町に自然災害伝承碑が残されています。
まとめ
この記事をまとめます。
この記事は下記を参考にして作成しました。
国土地理院ホームページ
高知地方気象台ホームページ
宮古市役所ホームページ
防災科学技術研究所ライブラリー
気象庁ホームページ
秋田地方気象台ホームページ




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