この記事は下記の方にお勧めです。
・過去に発生した地震について知りたい方
・歴史に興味がある方
はじめに
太古から地震が発生していたことを疑う人はいないのではないでしょうか。地層を調べることにより、断層や津波の痕跡から、おおよその地震発生の年代を知ることがあります。
しかし、いつ、どこで発生したのかをある程度の確度で知ることができるのは文字情報、つまり、古文書が現れてからのことです。日本では、西暦416年(允恭5年)の遠飛鳥宮付近で発生した地震が文字情報のある最古の地震と言われています。
この記事では、大正時代(1912年〜1926年)に日本で発生した主な地震についてまとめます。
大正時代
桜島地震(1914年)
西暦1914年(大正3年)1月12日に桜島の噴火により発生した地震です。鹿児島市内で死者が13人、負傷者が96人、住家の全壊が39棟ありました。また、鹿児島市近郊で死者が22人、負傷者16人でした。さらに、小津波もありました。地震の規模はM7.1で、鹿児島市付近では震度6の烈震でした。
仙北地震(1914年)
西暦1914年(大正3年)3月15日に秋田県南部に被害をもたらした地震で強首地震とも呼ばれています。秋田県内の被害は死者が94人、負傷者が324人、住家の全壊が640棟で、地割れや山崩れも多く発生しました。死因で多いのは地震発生直後の家屋の倒壊による圧死者で82人(全体の87%)でした。次いで火災によるもので焼死者が12人(全体の13%)でした。また、死者数は10歳未満の子どもの割合が多く22人(全体の23%)でした。秋田県南東部で発生した内陸直下型地震で、地震の規模はM7.1でした。
十勝沖地震(1915年)
西暦1915年(大正4年)3月18日に帯広地方に被害をもたらした地震です。芽室村字美生村と戸蔦村で家屋の倒壊があり、死者はそれぞれ1人で計2人でした。深さ約100㎞の千島海溝を震源とし、地震の規模はM7.0でした。
浅間山地震(1916年)
西暦1916年(大正5年)2月22日に発生した浅間山の火山活動に起因する火山性地震で局地的な被害をもたらしました。嬬恋村で山崩れがあり、家屋全壊が7軒、半壊が3軒、一部破損が109軒、土蔵の破損が164軒でした。地震の規模はM6.2でした。
神戸の地震(1916年)
西暦1916年(大正5年)11月26日に神戸で発生した地震です。神戸、明石、淡路北部で家屋の倒壊が3軒、破損が数十軒あり、死者1人、負傷者5人でした。地震の規模はM6.1でした。
静岡県中部地震(1917年)
西暦1917年(大正6年)5月18日に静岡県中部で発生した地震です。煙突や塀に被害が発生し、死者2人、負傷者6人でした。地震の規模はM6.3でした。
大町地震(1918年)
西暦1917年(大正7年)5月18日2時59分と16時4分に大町市付近で発生した地震です。姫川沿いの地域で住居全壊が6軒、半壊破損が2852軒でした。また、最大20cm程度の隆起が見られました。地震の規模は1回目がM6.1で2回目がM6.5でした。
龍ケ崎地震(1921年)
西暦1921年(大正10年)12月8日に茨城県南部で発生した地震です。千葉県北西部と茨城県南西部を中心とした関東内陸で道路の亀裂や墓石の転倒、壁塀の崩壊などの被害がありました。東京、銚子、水戸、熊谷、横浜、宇都宮、横須賀、飯田で震度4でした。阿見町付近を震源とし、地震の規模はM6.8でした。
浦賀水道地震(1922年)
西暦1922年(大正11年)4月26日に神奈川県東部で発生した地震です。東京湾沿岸一帯に家屋や土蔵の破損、水道管の破裂やがけ崩れなどの被害があり、東京と横浜で各1人、計2人の死者もありました。地震の規模はM6.8でした。
島原地震(1922年)
西暦1922年(大正11年)12月8日1時50分と11時2分に千々石湾で発生した地震です。1回目の地震で は有家 、有馬 、串山の諸村で被害が大きく、2回目の地震では小浜に被害が発生しました。死者26人、負傷者39人、住家の全壊195棟でした。地震の規模は1回目がM6.9で2回目がM6.5でした。
関東地震(1923年)
西暦1923年(大正12年)9月1日に神奈川県西部で発生し、南関東から東海地域に及ぶ地域に被害をもたらした地震で、いわゆる関東大震災です。死者105,385人(焼死が約9割)、全壊全焼流出家屋293,387軒で、電気、水道、道路、鉄道等のライフラインにも甚大な被害が発生し、山崩れや崖崩れも多く発生しました。房総方面や神奈川南部では隆起し、東京付近以西や神奈川北方では沈下しました。また、相模湾の海底では小田原—布良線以北は隆起し、南は沈下しました。相模湾周辺と房総半島の南端では最大高さ12m(熱海)や9.3m(相浜)の津波がありました。
埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県で震度6でした(当時の基準では最大震度が6でした。現在の基準では一部地域で震度7だったと推定されています)。この地震は地殻を構成するプレート同士が接触面で一気にずれ動くことにより発生した地震で、地震の規模はM6.9でした。なお、この地震を契機に9月1日が「防災の日」と定められました。
丹沢地震(1924年)
西暦1924年(大正13年)1月15日に神奈川県西部で発生した地震です。関東地震の最大余震で、東京、神奈川、山梨、静岡に被害がありました。全体での死者が19人、家屋の全壊が1300余軒で、特に神奈川県中南部で大きな被害がありました。地震の規模はM7.3でした。
北但馬地震(1925年)
西暦1925年(大正14年)5月23日に兵庫県北部で発生した地震です。円山川流域、特に豊岡と城崎で甚大な被害がありました。全体で死者が428人、家屋の全壊が1295軒、家屋の焼失が2180軒でした。震源は円山川右岸下流部で、最大震度は6(当時の基準での最大震度)、地震の規模はM6.8でした。
まとめ
この記事をまとめます。
この記事は下記を参考にして作成しました。
宇津徳治,2004,世界の被害地震の表(古代から2002年まで),宇津徳治先生を偲ぶ会,東京,電子ファイル最終版.
東京大学地震研究所 応用地震学研究室ホームページ
地震本部ホームページ
内閣府防災情報のページ
秋田県ホームページ
東京大学地震研究所ホームページ
長崎県地学会ホームページ
気象庁ホームページ
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