はじめに
太古から地震に伴う津波が発生していたことは地質調査で明らかになっています。
しかし、いつ、どこで発生したのかをある程度の確度で知ることができるのは文字情報、つまり、古文書が現れてからのことです。日本では、西暦684年(天武13年)の白鳳地震による津波が初めて記録された津波と言われています。
この記事では、昭和時代初期(1926年〜1945年)に日本を襲った津波をまとめます。

昭和時代初期(1926年〜1945年)
日向灘地震
1931年(昭和6年)11月2日に発生した地震により小さな津波が発生しました。検潮記録による津波の最大全振幅は串間で6cm、宇和島で7cm、土佐清水で50cm、串本で14cmでした。
地震による被害は宮崎、都城、佐土原、生目などで大きく、死者が1人、負傷者が29人、家屋の全壊が4軒でした。地震の規模はM7.1でした。
昭和三陸地震
1933年(昭和8年)3月3日に発生した地震により北海道の太平洋側全域と三陸海岸に大津波が襲い、大きな被害をもたらしました。揺れによる被害は小さかったものの、死者・行方不明者が3,064人、家屋の流失が4,034軒、倒壊が1,817軒、浸水が401軒でした。最大の津波は岩手県綾里の25mで、襟裳で14m、広尾で3.5m、浦河で2.7mでした。プレート自体の破壊が原因となった巨大な正断層型地震と考えられています。地震の規模はM8.1でした。
自然災害伝承碑が北海道えりも町、青森県八戸市、三沢市、おいらせ町、階上町、岩手県宮古市、釜石市、大船渡市、陸前高田市、山田町、大槌町、岩泉町、洋野町、普代村、野田村、田野畑村、宮城県石巻市、気仙沼市、名取市、女川町に残されています。

宮城県沖地震
1936年(昭和11年)11月3日に宮城県沖で発生した地震により小津波が発生しました。八戸で67cm、気仙沼漁港で28cm、女川で67cm、石巻で20cm、小名浜で18cmでした。
この地震による被害は、宮城県で負傷者が4人、宮城・福島両県で非住家の全壊が3軒でした。地震の規模はM7.4でした。
宮古島北西沖地震
1938年(昭和13年)6月10日に宮古島北西沖で発生し、平良港に高さ1.5mの津波をもたらした地震です。棧橋が流失し、帆船に被害がありました。地震の規模はM7.2でした。
福島県東方沖地震
1938年(昭和13年)11月5日17:43、19:50、6日17:54に福島県沖で発生した地震です。福島県で死者が1人、住家の全壊が4軒、非住家の全壊が16軒あり、小名浜や鮎川などで約1mの津波もありました。地震の規模はそれぞれM7.5、M7.3、M7.4でした。
男鹿地震
1939年(昭和14年)5月1日14:48、15:00に発生し、秋田県沿岸北部の被害をもたらした地震です。男鹿半島の頸部での被害が大きく、死者が27人、負傷者が52人、住家の全壊が479軒でした。また、軽微な津波があり、半島西部では最大44cmの隆起がありました。地震の規模はそれぞれM6.8、M6.7でした。
積丹半島沖地震
1940年(昭和15年)8月2日に北海道北西沖で発生した地震により津波が発生しました。最大震度は倶知安、神恵内、留萌、羽幌、苫小牧、八雲などで4と大きくはありませんが、津波による被害が大きく、利尻島で3m、天塩と羽幌で2mの津波が発生し、京都でも1mの津波が観測されました。天塩川の河口付近での被害が大きく、津波で10人が死亡し、建物の流出が20軒、船舶の流出が644槽ありました。地震の規模はM7.5でした。
日向灘地震
1941年(昭和16年)11月19日に日向灘で発生し、大分・宮崎・熊本県に被害をもたらした地震により日向灘沿岸で津波があり、最大の波高は1mでした。
地震による被害は、全体で死者が2人、負傷者が18人、建物の全壊が27軒の被害でした。最大の被害だったのが人吉市で、死者が1人、負傷者が5人、住家の全壊が6軒でした。延岡、宮崎、宇和島、宿毛でも被害がありました。また、日向市細島の検潮場で地盤が約8cm沈降しました。地震の規模はM7.2でした。
昭和東南海地震
1944年(昭和19年)12月7日に発生した駿河トラフと南海トラフ沿いを震源域とする地震により津波が発生しました。三重県では熊野灘沿岸の津波被害が大きく、津波の波高は熊野灘沿岸で6〜8m、遠州灘沿岸で1〜2mでした。
静岡県と三重県で震度6(当時の震度階級の最大)を、愛知県、岐阜県、福井県、山梨県、滋賀県及び奈良県で震度5を観測しました。愛知県では名古屋市から半田市にかけての埋立地にある軍需工場が集中する地区での被害が、静岡県では沖積平野地区の住家被害が見られました。軍事政権下での情報統制により詳細な被害状況は不明ですが、全体で死者が1,183人、住家の全壊が18,143軒、半壊が36,638軒、流失が2,400軒と言われています。また、紀伊半島東岸で30〜40cm地盤が沈下しました。地震の規模はM7.9でした。
東南海地震は甚大な災害でしたが、報道管制により国民に殆ど知らされませんでした。一方、対戦国であったアメリカでは日本で大地震があったことが新聞に掲載されていました。
自然災害伝承碑が三重県熊野市、尾鷲市、大紀町、南伊勢町、紀北町、和歌山県那智勝浦町などに多数残されています。
青森県東方沖地震
1945年(昭和20年)2月10日に青森県東方沖で発生した地震により八戸で小さな津波がありました。
地震による被害は、死者が2人、家屋倒壊が2軒、の被害がありました。また、地震の規模はM7.1でした。
まとめ
この記事をまとめます。
この記事は下記を参考にして作成しました。
国土地理院ホームページ
地震本部ホームページ
内閣府防災情報のページ
仙台管区気象台ホームページ
内閣府防災情報のページ
内閣府防災情報のページ
一般財団法人 日本防火・防災協会ホームページ






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