はじめに
太古から地震に伴う津波が発生していたことは地質調査で明らかになっています。
しかし、いつ、どこで発生したのかをある程度の確度で知ることができるのは文字情報、つまり、古文書が現れてからのことです。日本では、西暦684年(天武13年)の白鳳地震による津波が初めて記録された津波と言われています。
この記事では、鎌倉時代から安土桃山時代までに日本を襲った津波をまとめます。

鎌倉時代
仁治地震
1241年5月22日(仁治2年4月3日)に鎌倉に被害をもたらした地震では津波が発生したことが『吾妻鏡』に記述されています。
「三日辛酉。霽。戌尅大地震。南風。由比浦大鳥居内拝殿。被引潮流失。著岸船十余艘破損。」
つまり、「仁治2年4月3日夜8時頃、大地震の発生とともに津波が生じ、由比浦大鳥居内の拝殿が流出し、着岸していた船10余艘も破損した」との記述です。
しかし、吾妻鏡には鎌倉の情報しかなく、周辺地域にどれだけの被害が発生したのかは不明です。また、拝殿の流出は津波ではなく高潮のためとの説もあります。地震の規模はM7程度と推定されています。
永仁関東地震(永仁鎌倉地震)
1293年5月27日(正応6年4月13日)に相模湾を震源として発生した地震(M7.0)で、鎌倉に被害をもたらしました。建長寺や寿福寺をはじめとする寺社および人屋が多数倒壊し、建長寺は炎上しました。山崩れも多発し、大慈寺が顛倒、埋没したとも言われています。死者数は数千とも2万人以上とも言われています。M8クラスの相模トラフ巨大地震との説もあります。
また、「浜辺鳥居辺死人140人」との記録があり、津波によるものと推定されており、三浦半島の小網代湾では、この時期に対比される可能性のある津波堆積物が発見されています。
室町時代
正平(康安)南海地震
西暦1361年8月3日(正平16年6月24日)に発生した地震で、大阪の四天王寺の金堂や奈良の招提寺の九輪や薬師寺の金堂などの倒壊や破損などが起こり、摂津、土佐、阿波に津波による大きな被害をもたらしました。南海トラフで発生したM8クラスの巨大地震と推定されています。
摂津(大阪)での津波に関する記述としては『太平記』に「難波浦では、半時ばかり潮が引き、
無数の魚が砂の上で息づいていたので、付近の漁師たちが網や竿を捨て、一生懸命拾っていたと
ころ、 にわかに大山のような潮が押し寄せ、満々とした海になってしまった。 数百人の漁師たちで、生きて帰った者は一人も無かった」があります。また、大阪での津波は3.3〜4.65mと推定されています。
また、阿波(徳島)での津波に関する記述としては『太平記』に「中にも阿波の雪(由岐)の湊と伝浦には、俄に太山の如くなる潮漲来て、在家一千七百余宇、悉引塩に連て海底に沈しかば、 家々に有所の僧俗、男女、牛馬・鶏犬、一も残らず底の藻屑と成にけり。」があります。
さらに、徳島県海部郡美波町には日本最古の津波碑「康暦碑」があります。1380年の建立で、津波による犠牲者の慰霊碑と推定されています。

享徳地震
1454年12月22日(享徳3年11月24日)に発生した地震です。『王代記』に「(享徳)三年甲戌十一月廿三日夜半天地震動、奥州ニ津浪打テ百里山ノ奥ニ入テ人多海ニ入テ死」との記述があり、東北地方の太平洋側で津波が山の奥まで入り多くの人々が海に引き込まれて亡くなったことがわかります。また、1500年ごろの津波堆積物が見つかっています。
明応東海地震
1498年9月20日(明応7年8月25日)に発生した南海トラフ巨大地震で、震源域は高知県中部沖から駿河湾までの広い範囲と考えられています。紀伊から房総にかけての海岸と甲斐で揺れが大きく、熊野本宮の社殿の倒壊したり、遠江では山崩れや地割れが発生したりしました。
津波が紀伊から房総の海岸を襲い、伊勢大湊で家屋流失1千戸、死者5千人、伊勢志摩で死者1万人、静岡県志太郡で死者2万6千人と言われています。また、沼津市戸田では津波が海抜36メートルを超える地点まで達していた可能性があることが調査でわかっています。
さらに、淡水湖だった浜名湖の南岸が津波によって切れて、湖が遠州灘とつながり、今切ができたと言われています。
地震の規模はM8.2〜M8.4と推定されています。
安土桃山時代
天正地震
1586年1月18日(天正13年11月29日)に近畿から中部に被害をもたらした内陸の大地震で、阿寺断層、庄川断層、養老・桑名・四日市断層などが連動して起きたと考えられています。各地で下記のような被害が発生しました。
越中:山崩れにより庄川が約20日にわたってせき止められた。砺波(となみ)郡木船城が崩壊陥没し、城主前田秀継夫妻が死亡。
飛騨:大規模な山崩れにより白川村の帰雲城及び城下が埋没し、城主内ケ島氏以下領民全員が死亡した。下呂市の威徳寺七堂伽藍が倒壊焼失した。

美濃:大垣城が全壊焼失し、白鳥の長滝寺三重塔が大破した。
三河:岡崎城が大破した。
尾張:甚目寺の法性寺や一宮真清田神社などが倒壊した。
伊勢:長島城が全壊した。泥土化、湧没が多数発生した。宇治山田外宮が破損した。
近江:長浜城が全壊し、城主山内一豊の息女が死亡した。
京都:三十三間堂の仏像が倒れた。八坂神社の拝殿や鳥居が破損した。壬生地蔵堂が倒壊した。
大和:多門院築垣が倒れた。
天正地震により伊勢湾や若狭湾で津波が発生したとの伝承がありますが、伊勢湾での津波は古文書に明らかな記述がないことから、若狭湾での津波はボーリング調査から可能性が低いという説もあります。
まとめ
この記事をまとめます。
この記事は下記を参考にして作成しました。
鎌倉市ホームページ
歴史地震研究会
地震本部
歴史地震研究会
地震本部
徳島地方気象台ホームページ
歴史地震研究会
東北大学ホームページ
福井県ホームページ





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