はじめに
太古から地震に伴う津波が発生していたことは地質調査で明らかになっています。
しかし、いつ、どこで発生したのかをある程度の確度で知ることができるのは文字情報、つまり、古文書が現れてからのことです。日本では、西暦684年(天武13年)の白鳳地震による津波が初めて記録された津波と言われています。
この記事では、先史時代から平安時代までに日本を襲った津波をまとめます。

先史時代
三陸地方では地質調査により貞観津波以前に7回の超巨大津波の痕跡が見つかっています。
・5350年〜5450年前
・4900年〜5000年前
・4200年〜4300年前
・3650年〜3800年前
・3100年前
・2400年〜2500年前
・1900年〜2000年前
また、仙台平野では2000年前の津波の痕跡が見つかっています。
さらに、高知県土佐市蟹ヶ池では約2000年前の地層から津波による厚さ50cmを超える堆積物が見つかっており、南海トラフ超巨大地震によるものと推定されています。
飛鳥時代
白鳳地震
684年11月29日に発生した南海トラフ系の巨大地震であるM8.4の白鳳地震による津波で、日本書紀に記されています。土佐(高知県)で地盤沈下により田苑が約12平方kmが海中に沈み、この地震に伴う津波で貢物を運んでいた船が多数沈没しました。
大宝地震
続日本紀に記されている701年に丹後(京都府北部)で発生した大宝地震で津波が発生したとの伝承がありますが、科学的には津波の存在が証明されていません。最大遡上高40m以上の大津波があったとされ、標高40mの地に当時の津波の碑石である「波せき地蔵堂」があります。

平安時代
出羽地震
850年10月に出羽国(山形県・秋田県)で発生した出羽地震は、『文徳実録』に「庚申。出羽國言上。地大震裂。山谷易處。壓死者衆。」と地震が発生したことが記されています。また、『三代実録』には「加之、海水漲移、迫府六里所、大川崩壞、去隍一町、兩端受害、無力堤塞。堙没之期、在於旦暮。」と記されており、津波が国府(現在の酒田市)から六里のところまで押し寄せて被害があったことが記されています。
貞観地震
869年7月13日に陸奥国(青森県・岩手県・宮城県)で発生した貞観地震は、『三代実録』に「陸奥の国で大地震があり、そのあと激しい波が川を遡上して、たちまち城下に達し、海岸から、数十~百里の先まで涯も知れず水となり、原野も道路もすべて大海原と化してしまった」と記されています。国府があった多賀城(宮城県)での状況報告と考えられ、仙台平野が水没したことがわかります。調査の結果、海岸から3kmまで津波が押し寄せたことが判明しています。
仁和地震
887年に南海トラフで発生したとされる仁和地震(M8.3)は、『三代実録』に「五畿七道諸国も同日に大震ありて官舎多く損じ、海潮陸に漲りて溺死者勝げて計るべからず。そのうち摂津国尤も甚しかりき」と記されており、津波が沿岸を襲い、溺死者多数発生したことがわかります。
また、静岡県西部にも津波の痕跡が見つかています。
万寿地震
1026年6月16日に石見国(島根県益田市)の日本海沖で巨大な地震津波が発生し、沿岸の各村落に襲来して未曽有の被害をもたらしたとの口碑(松崎の碑:1814年建立)があります。
被害は山口県萩市須佐から 江津市黒松町付近まで、あるいは大田市鳥井町あたりまでの百数十kmに及んだとの文献があります。

永長地震
1096年12月17日に発生した永長地震(永長東海地震)は、地震の規模がM8.0~8.5で、太極殿の小破、東大寺の巨鐘の落下、薬師寺回廊の転倒、東寺の塔の破損などの震害があった南海トラフ巨大地震で、潮岬沖から御前崎沖にかけての領域が震源域でした。津波が伊勢や駿河を襲い、駿河では神仏舎屋・百姓の流失が400余あり、伊勢阿之津でも津波の被害がありました。
1099年2月22日に発生した康和地震(康和南海地震)は、永長地震の2年2か月後に発生した南海トラフ巨大地震(M8.0~8.3)で、震源域が足摺岬沖から潮岬沖にかけての領域でしたが、津波に関する記事は見つかっていません。ただし、土佐で田千余町が海に沈んだとの記録があります。
まとめ
この記事をまとめます。
この記事は下記を参考にして作成しました。
内閣府防災情報のページ
縄文時代における古津波堆積層,相原淳一.
【季刊東北学】2011年第28号,P114-.
内閣府防災情報のページ
高知県地震津波史料
四国災害アーカイブス
京都府ホームページ
津波工学研究報告第41号(2024)33~45.
歴史に学ぶ津波災害
内閣府防災情報のページ
日本地質学会ホームページ
四国新聞社ホームページ
気象庁ホームページ
島根県技術師会ホームページ
国土地理院ホームページ
内閣府防災情報のページ





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