この記事は下記の方にお勧めです。
・過去に発生した地震について知りたい方
・歴史に興味がある方
はじめに
太古から地震が発生していたことを疑う人はいないのではないでしょうか。地層を調べることにより、断層や津波の痕跡から、おおよその地震発生の年代を知ることがあります。
しかし、いつ、どこで発生したのかをある程度の確度で知ることができるのは文字情報、つまり、古文書が現れてからのことです。日本では、西暦416年(允恭5年)の遠飛鳥宮付近で発生した地震が文字情報のある最古の地震と言われています。
この記事では、江戸時代初期(1603年〜1650年)に日本で発生した主な地震についてまとめます。
江戸時代(1)
慶長地震(1605年)
西暦1605年2月3日(慶長9年12月16日)に関東から九州南部の太平洋岸に津波の大きな被害をもたらした地震です。南海トラフの可能性がある地震と考えられています。八丈島で死者57名、浜名湖近くの橋本で100戸中80戸が流され死者多数など津波による被害の記録が多く残されている一方、揺れによる被害の記録は少なく、淡路島安坂村千光寺の諸堂倒れ、仏像が飛散したとあるのみで、南方の遠地津波の可能性もあります。地震の規模はM7.9程度と推定されています。
慶長会津地震(1611年)
西暦1611年9月27日(慶長16年8月21日)に会津地方で発生した直下型地震です。会津盆地西縁・東縁断層帯の活動によるものと考えられています。民家2万戸が倒壊し、死者3700名などの被害や、鶴ヶ城の天守閣が傾くといった被害も発生しました。さらに、各地で地すべりや山崩れが発生し、特に喜多方市慶徳町山科付近では阿賀川が堰き止められて東西約4〜5km、南北約2〜4km、面積10〜16km²におよぶ山崎新湖が誕生し、最多で23もの集落が浸水しました。この湖の水抜き工事には約半世紀を要したと言われています。地震の規模はM6.9と推定されています。
慶長三陸地震(1611年)
西暦1611年12月2日(慶長16年10月28日)に三陸地方に被害をもたらした地震です。北海道も巨大津波に襲われたとも言われています。三陸沖もしくは根室沖が震源と考えられています。津波による被害が大きく、仙台藩で死者1783名、南部・津軽で人馬の死3千余という記録があります。また、仙台藩主の伊達政宗が仙台平野のはずれの千貫山(岩沼市)まで津波が達したと徳川家康に書状を送っています。地震の規模は三陸沖が震源の場合はM8.1と推定されています。
高田地震(1614年)
西暦1614年11月26日(慶長19年10月25日)に会津、伊豆、紀伊、山城、松山に被害をもたらしたと言われている地震です。また、越後高田藩では地震と津波により死者多数とする記録もありますが信憑性に欠けるとも言われています。被害が広範囲に及ぶことから南海トラフ地震の一つと考えられている一方、京都付近の局地的な地震との説もあります。
慶長江戸地震(1615年)
西暦1615年6月26日(慶長20年6月1日)に江戸に被害をもたらした地震です。家屋が倒壊し、死傷が多く、地割れを生じたと言われています。地震の規模はM6.5程度と推定されています。
宮城沖地震(1616年)
西暦1616年9月9日(元和2年7月28日)に発生し、仙台城の石壁や櫓等の破損をもたらした地震です。宮城県沖地震の可能性があります。三陸に津波が発生したとの説もあります。地震の規模はM7.0程度と推定されています。
肥後の地震(1619年)
西暦1619年5月1日(元和5年3月17日)に八代に被害をもたらした地震です。麦島城(八代)が倒壊し、竹田城(大分県)が破損しました。地震の規模はM6.0程度と推定されています。
熊本の地震(1625年)
西暦1625年7月21日(寛永2年6月17日)に熊本に被害をもたらした地震です。地震により熊本城の火薬庫の爆発や、城中の石垣にも被害が発生しました。死者は約50名です。地震の規模はM5.0~M6.0と推定されています。
江戸の地震(1628年)
西暦1628年8月10日(寛永5年7月11日)に江戸で発生した地震です。地震により江戸城の石垣が崩れました。地震の規模はM6.0程度と推定されています。
寛永小田原地震(1633年)
西暦1633年3月1日(寛永10年1月21日)に相模、駿河、伊豆に被害をもたらした地震です。小田原城と城下の民家が多く倒壊し、約150名が死亡しました。沼津・三島・吉原でも被害がありました。熱海、網代、宇佐美では3~4mの津波に襲われました。震源域は小田原直下とその沖合の海底面で、地震の規模はM7.0程度と推定されています。
江戸の地震(1635年)
西暦1635年3月12日(寛永12年1月23日)に江戸に被害をもたらした地震です。長屋の塀などが破損し、増上寺の石灯籠がほとんど倒れました。日光での有感記録があることから、震源域は茨城県南西部と考えられています。地震の規模はM6.0程度と推定されています。
加賀大聖寺の地震(1640年)
西暦1640年11月23日(寛永17年10月10日)に越前と加賀の国境に被害をもたらした地震です。家屋の破損や、多数の死傷者が発生しました。地震の規模はM6.5程度と推定されています。
羽後本荘地震(1644年)
西暦1644年10月18日(寛永21年9月18日)に羽後本荘に被害をもたらした地震です。本荘城郭が大破し、建物の倒壊による死者がありました。地震の規模はM6.5程度と推定されています。
陸前の地震(1646年)
西暦1646年6月9日(正保3年4月26日)に陸前、岩代、下野に被害をもたらした地震です。仙台城や白石城で被害がありました。また、会津での地割れや、日光東照宮での石垣などの破損がありました。津波の記録は見つかっていません。地震の規模はM6.5〜M6.7と推定されています。
武蔵・相模の地震(1647年)
西暦1647年6月16日(正保4年5月14日)に発生した地震です。江戸城の石垣や大名屋敷などが破損し、死者も発生しました。また、小田原城でも石垣が崩れるなどの被害がありました。地震の規模はM6.5程度と推定されています。
慶安相模の地震(1648年)
西暦1648年6月13日(慶安元年4月22日)に発生した地震です。小田原城で石垣や櫓の破損や、小田原領内で家屋倒壊が多くありました。箱根で落石により死者が1名あり、江戸では舟のように揺れて瓦が落ちて土蔵などが破損したと言われています。地震の規模はM7.0程度と推定されています。
慶安芸予地震(1649年)
西暦1649年3月17日(慶安2年2月5日)に安芸(広島)と伊予(愛媛)に被害をもたらした地震です。松山城や宇和島城の石垣や塀が崩れ、民家が破損し、広島では侍屋敷や町屋が壊れました。地震の規模はM7.0程度と推定されています。
慶安武蔵地震(1649年)
西暦1649年7月30日(慶安2年6月21日)に武蔵と下野に被害をもたらした地震です。川越などでの被害が最も多く、町屋が00軒ほど大破したほか、田畑が1m弱沈降しました。江戸城では二ノ丸の塀などが破損したほか、武家屋敷で倒壊や破損がありました。日光でも東照宮の破損被害がありました。死者は50人余で、余震が1ヶ月以上あったといわれています。立川断層帯の活動の可能性があり、地震の規模はM7.0程度と推定されています。
武蔵の地震(1649年)
西暦1649年9月1日(慶安2年7月25日)に発生した地震です。川崎宿の民家が140〜150棟倒壊し、付近の村でも家屋が倒壊し、死傷者が多数発生しています。江戸でも被害がありました。地震の規模はM6.4程度と推定されています。
まとめ
この記事をまとめます。
この記事は下記を参考にして作成しました。
防災システム研究所公式ホームページ
宇津徳治,2004,世界の被害地震の表(古代から2002年まで),宇津徳治先生を偲ぶ会,東京,電子ファイル最終版.
東京大学地震研究所 応用地震学研究室ホームページ
地震本部ホームページ
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