過去に発生した地震(14) 昭和時代(3)

過去に発生した地震(14) 『昭和時代(3)』 自然災害に備えるブログ  地震
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この記事は下記の方にお勧めです。

・過去に発生した地震について知りたい方
・歴史に興味がある方

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はじめに

太古から地震が発生していたことを疑う人はいないのではないでしょうか。地層を調べることにより、断層や津波の痕跡から、おおよその地震発生の年代を知ることがあります。

しかし、いつ、どこで発生したのかをある程度の確度で知ることができるのは文字情報、つまり、古文書が現れてからのことです。日本では、西暦416年(允恭5年)の遠飛鳥宮とおつあすかのみや付近で発生した地震が文字情報のある最古の地震と言われています。

この記事では、昭和時代後期(1966年〜1989年)に日本で発生した主な地震についてまとめます。

昭和41年〜昭和50年

えびの地震(1968年)

西暦1968年(昭和43年)2月21日に宮崎県南部で発生した火山性地震です。宮崎県西諸県郡えびの町(現 えびの市)と鹿児島県姶良郡吉松町(現 姶良郡湧水町)に大きな被害があり、全体で死者が3人、負傷者が42人、建物全壊が368軒、半壊が636軒でした。地震の規模はM6.1で、最大震度は6(えびの町)でした。また、2時間ほど前にはM5.7の前震が、翌日にはM5.6の余震がありました。さらに3月25日にもM5.7とM5.4の地震があり、建物全壊などの被害が発生しました。

日向灘地震(1968年)

西暦1968年(昭和43年)4月1日に日向灘で発生したプレート境界地震です。愛媛県、高知県、熊本県、大分県、宮崎県で被害が発生し、負傷者が57人、住家の全壊が2軒、半壊が38軒、道路の損壊が59ヶ所でした。また、津波が発生し、最大全振幅が室戸岬で124cm、土佐清水で236cm、宿毛で224cmでした。地震の規模はM7.5で、最大震度は5(宿毛市、延岡市)でした。

十勝沖地震(1968年)

西暦1968年(昭和43年)5月16日に青森県東方沖で発生したプレート間地震です。東北地方の北部や北海道南部を中心に広い範囲で強く揺れ、青森市、八戸市、函館市、苫小牧市、浦河町、広尾町で震度5でした。全体の被害は死者が52人、負傷者が330人、建物の全壊が673軒、半壊が3004軒でした。津波も発生し、えりも町で最大2.7m、三陸海岸では最大5mが観測され、浸水が529軒、船舶の流失や沈没が127隻ありました。地震の規模はM7.9で、本震の約12時間後にはM7.5、6月12日にはM7.2の大きな余震がありました。

豊後水道の地震(1968年)

西暦1968年(昭和43年)8月6日に豊後水道で発生した地震です。愛媛県を中心に被害が発生し、負傷者が22人、家屋の破損が7軒、全焼が1軒で、道路の損壊や山崩れもありました。地震の規模はM6.6で、最大震度は5(宇和島市、大洲市、大分市)でした。

岐阜県中部地震(1969年)

西暦1969年(昭和44年)9月9日に郡上市明宝付近で発生した地震です。郡上郡と益田郡で山崩れや崖崩れが多発し、落石による道路損壊が多くありました。また、死者が1人、負傷者が10人、建物の全壊が1軒、半壊が86軒ありました。地震の規模はM6.6で、深さは0kmの極めて浅い地震でした。

日高山脈地震(1970年)

西暦1970年(昭和45年)1月21日に十勝地方南部で発生した地震です。日高山脈南部(十勝南部)が震源で、浦河、広尾、帯広、本別で震度5でした。負傷者が32名、住家の損壊が3軒、道路決壊が5ヶ所の被害がありました。地震の規模はM6.7でした。

秋田県南東部の地震(1970年)

西暦1970年(昭和45年)10月16日に発生した秋田県雄勝郡東成瀬村を震央とする地震です。岩手
県の湯田と雫石で震度5でした。被害は東成瀬村と湯田町を中心とし、負傷者が6人、住家の半壊が20軒、一部破損が446軒、全焼が1軒、山崖崩れが19ヶ所でした。地震の規模はM6.2でした。

八丈島東方沖地震(1972年)

西暦1972年(昭和47年)12月4日に八丈島東方沖で発生した地震です。八丈島と青ヶ島で落石、土砂崩れ、道路破損などの被害がありましたが、人的被害や建物の被害は軽微でした。地震の規模はM7.2で、最大震度は八丈島で震度6でした。

根室半島沖地震(1973年)

西暦1973年(昭和48年)6月17日に根室半島南東沖で発生し、根室・釧路地方に被害をもたらした地震です。死者が1人、負傷者が26人、住家の全壊が2軒ありました。また、津波が発生し、波高は花咲で2.8m、十勝港で1.1m、岩手県宮古で4mでした。また、浸水が275軒、船舶の流失沈没が10隻ありました。地震の規模はM7.9で、最大震度は根室と釧路で震度5でした。6月24日にはM7.1の余震がありました。

伊豆半島沖地震(1974年)

西暦1974年(昭和49年)5月9日に伊豆半島南端で発生した地震です。中木、入間、石廊崎で被害が大きく、死者が30人、負傷者が102人、家屋の全壊が134軒、焼失が5軒でした。御前崎などに小津波があり、石廊崎から北西に長さ5.5kmの右ずれ断層が出現しました。地震の規模はM6.9でした。

熊本県北東部の地震(1975年)

西暦1975年(昭和50年)1月23日を中心に熊本県阿蘇地方で発生した群発地震です。一の宮町三野地区に被害が集中し、負傷者が10人、住家の全壊が16軒、半壊が17軒、道路の損壊が12ヶ所、山崩れが15ヶ所でした。地震の規模はM6.1でした。

大分県中部地震(1975年)

西暦1975年(昭和50年)4月21日に大分県西部で発生した地震です。湯布院町扇山、庄内町内山付近を震源とし、地震前には山鳴りが、地震時には発光現象が見られました。被害の区域は庄内町、九重町、湯布院町、直入町と狭いものの、家屋の被害が多くありました。全体で負傷者が22人、住家の全壊が58軒、半壊が93軒、道路の破損が182ヶ所で、崖崩れも多数発生しました。また、地下水、温泉に変化がありました。地震の規模はM6.4で、湯布院で震度5でした。

昭和51年〜昭和64年

伊豆大島近海の地震(1978年)

西暦1978年(昭和53年)1月14日に伊豆大島近海で発生した地震です。伊豆半島東岸の河津町、東伊豆町、天城湯ケ島を中心に被害があり、死者が25人、負傷者が211人、住家の全壊が96軒、半壊が616軒、道路の損壊が1141ヶ所、崖崩れが191ヶ所でありました。また、持越鉱山の鉱滓堆積場の堰堤が損壊し、狩野川から駿河湾にシアン化合物が流れ込み、魚介類に多大な被害を与えました。地震の規模はM7.0で、最大震度は5でした。

宮城県沖地震(1978年)

西暦1978年(昭和53年)6月12日に宮城県沖で発生した地震です。宮城県での被害が大きく、全体で死者が28人、負傷者が1325人、住家の全壊が1183軒、半壊が5574軒、道路の損壊が888ヶ所、崖崩れが529ヶ所でした。また、造成地での被害が大きく、ブロック塀の倒壊が多く発生し、ブロック塀の倒壊による死者が11人でした。さらに、屋外への急な飛び出しによる負傷者、ガラス片や落下物による負傷者が多く発生しました。地震の規模はM7.4で、最大震度は5(仙台市を中心とする宮城県、福島県北部、岩手県南部、山形県新庄地方)でした。

伊豆半島東方沖地震(1980年)

西暦1980年(昭和55年)に伊豆半島に被害をもたらした群発地震です。6月24日に始まり、6月29日にM6.7の最大地震があり、8月以降に収束しました。負傷者が7人、家屋の全壊が1軒、半壊が17軒などの被害がありました。

浦河沖地震(1982年)

西暦1982年(昭和57年)に浦河と静内を中心に被害をもたらした地震です。日高地方を中心に負傷者が167人、住家の全壊が9軒、半壊が16軒、鉄道の被害が45ヶ所でした。津波は浦河で最大80cmでしたが、大きな被害はありませんでした。地震の規模はM7.1で、最大震度は6(浦河)でした。

日本海中部地震(1983年)

西暦1982年(昭和57年)に秋田県沖で発生し、強い揺れと津波で大きな被害をもたらした地震です。全体で死者が104人(うち津波によるものが100人)、負傷者が163人(同104人)、建物の全壊が934軒、半壊が2115軒、流失が52軒でした。地震の発生から8分後には津波が到達しており、これは津波警報の発令(地震発生の15分後)よりも早く、津波による死者が多かった要因になりました。一方、揺れによる被害は秋田県と青森県に集中し、建物・道路・鉄道・堤防などに甚大な被害があり、液状化現象による被害も多発しました。

地震の規模はM7.7で、最大震度は5(秋田、深浦、むつ)でした。津波は北海道から九州にかけての日本海沿岸を中心に観測され、青森県から男鹿半島にかけて5~6m、北海道奥尻島では3~4m、佐渡、能登半島、隠岐では2~3mで、最大は震源に近い秋田県八竜町(現在の三種町)で6.6mでした。また、津波は朝鮮半島やソ連(当時)にも被害をもたらしました。さらに、6月21日にはM7.1の最大余震(青森県で震度4、秋田県で震度3)がありました。

長野県西部地震(1984年)

西暦1984年(昭和59年)に長野県南部で発生し、王滝村に大きな被害をもたらした内陸直下型の地震です。王滝川や濁川の流域などで発生した御嶽山南斜面の大規模な山体崩壊による山崩れと土石流により、死者・行方不明者が29人、負傷者が10人、建物の全壊が14軒、半壊が73軒、一部破損が517軒、道路の損壊が205ヶ所ありました。一方、地震動による直接的な家屋の倒壊はありませんでした。

地震の規模はM6.8で、最大震度は4(諏訪市、飯田市、甲府市、舞鶴市)でしたが、王滝村(震度計の設置なし)では震度6だったと推測されています。また、東京では超高層ビルのエレベータのケーブル切断事故などの長周期地震動による被害もありました。

千葉県東方沖地震(1987年)

西暦1987年(昭和62年)12月17日に千葉県東方沖で発生した地震です。千葉県を中心に被害が発生し、木造家屋の屋根瓦の崩落、急傾斜地の崩壊、液状化、ブロック塀の倒壊が多く発生しましたが、電気・水道・ガスのライフラインへの大きは被害はありませんでした。全体で死者が2人、負傷者が161人、住家の全壊が16軒、半壊が102軒、一部破損が7万余軒、火災が3軒、道路の損壊が1565ヶ所でした。地震の規模はM6.7で、最大震度は5(千葉市、勝浦市、銚子市)でした。

まとめ

この記事をまとめます。

  • 昭和後期には甚大は被害があった日向灘地震、十勝沖地震、伊豆大島近海の地震、宮城県沖地震、日本海中部地震、長野県西部地震が発生しました
  • 日向灘地震、十勝沖地震、根室半島沖地震、日本海中部地震では津波による被害が発生しました
  • 長野県西部地震では東京で長周期地震動による被害がありました

この記事は下記を参考にして作成しました。

宇津徳治,2004,世界の被害地震の表(古代から2002年まで),宇津徳治先生を偲ぶ会,東京,電子ファイル最終版.
東京大学地震研究所 応用地震学研究室ホームページ
地震本部ホームページ
宮崎県ホームページ
気象庁ホームページ
内閣府防災情報のページ
岐阜県ホームページ
ほっかいどうの防災教育ポータルサイト
内閣府防災情報のページ
静岡県東部地域局【公式】
大分県ホームページ
気象庁ホームページ
仙台市ホームページ
防災科学技術研究所ライブラリー
気象庁ホームページ
ほっかいどうの防災教育ポータルサイト
秋田地方気象台ホームページ
内閣府防災情報のページ
長野地方気象台ホームページ
防災科学技術研究所ライブラリー

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