過去に発生した地震(12) 昭和時代(1)

過去に発生した地震(12) 『昭和時代(1)』 自然災害に備えるブログ  地震
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この記事は下記の方にお勧めです。

・過去に発生した地震について知りたい方
・歴史に興味がある方

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はじめに

太古から地震が発生していたことを疑う人はいないのではないでしょうか。地層を調べることにより、断層や津波の痕跡から、おおよその地震発生の年代を知ることがあります。

しかし、いつ、どこで発生したのかをある程度の確度で知ることができるのは文字情報、つまり、古文書が現れてからのことです。日本では、西暦416年(允恭5年)の遠飛鳥宮とおつあすかのみや付近で発生した地震が文字情報のある最古の地震と言われています。

この記事では、昭和時代初期(1926年〜1945年)に日本で発生した主な地震についてまとめます。

昭和元年〜昭和10年

北丹後地震(1927年)

西暦1927年(昭和2年)3月7日に発生し、京都府北部に大きな被害をもたらした地震です。震源は現在の京丹後市で、プレート内部での岩盤崩壊を原因とする内陸型地震でした。震源が浅かったことから、極めて大きな揺れになりました。京丹後市峰山町、網野町、与謝野町旧加悦町地区、岩滝町地区では家屋倒壊率が70%~90%に達する大きな被害となりました。また、夕刻に発生した地震のため火災が各所で発生し、特に網野町、峰山町、与謝野町旧野田川町地区では大火災となり、合わせて8287軒が焼失しました。全体で死者が2912人、家屋の全壊が12502軒でした。

この地震により郷村断層(長さ18km、水平ずれ最大2.7m)とそれに直交する山田断層(長さ7km)が生じました。郷村断層では地震発生後に日本で初めて近代的な科学的調査が行われ、「活断層」という言葉が初めて使われました。地震の規模はM7.3で、兵庫県や京都府北部で震度6でした。

関原地震(1927年)

西暦1927年(昭和2年)10月27日に新潟県中越地方で発生した直下型地震です。関原で震度6でしたが、地震動を感じられたのは局所的でした。そのため被害も少なく、負傷者が2名、家屋の倒壊が23軒でした。また、宮本村の田圃内に石油ガス噴出口を生じました。地震の規模はM5.2で、震源の深さは約10kmでした。

北伊豆地震(1930年)

西暦1930年(昭和5年)11月26日に静岡県伊豆地方で発生した地震です。建物の倒壊や山崩れによる被害が多く、伊豆箱根鉄道の長岡駅が焼失し、三島駅が崩壊しました。また、丹那トンネルの工事作業中に崩落事故が起こり、5人が下敷きとなり、その内の3人が亡くなりました。全体では死者が255人、負傷者が743人、家屋の全壊が2073軒、半壊が4104軒、焼失が74軒でした。丹那断層(長さ35km、横ずれ最大2〜3m)とそれに直交する姫之湯断層などを生じました。地震の規模はM7.3でした。

なお、丹那断層の発掘調査から過去8000年間に9回の地震が発生しており、700年から1000年に1回の間隔で大地震が起きていたことがわかっています。

西埼玉地震(1931年)

西暦1931年(昭和6年)9月21日に発生し、埼玉県北部に被害をもたらした地震です。埼玉県中部・北部の荒川・利根川沿いの地盤の軟らかい地域を中心に被害が発生し、死者が16人、家屋の全壊が207軒(住家76軒、非住家131軒)でした。地震の規模はM6.9で体感による最大震度は5でしたが、被害状況から震度6相当だったと推定されています。震央は現在の深谷市付近で、深さは3kmでした。

日向灘地震(1931年)

西暦1931年(昭和6年)11月2日に発生し、宮崎県に被害をもたらした地震です。宮崎、都城、佐土原、生目などで被害が大きく、死者が1人、負傷者が29人、家屋の全壊が4軒でした。また、小さな津波もありました。地震の規模はM7.1でした。

昭和三陸沖地震(1931年)

西暦1933年(昭和8年)3月3日に北海道の太平洋側全域と三陸海岸に大津波が襲い、大きな被害をもたらした地震です。揺れによる被害は小さかったものの、死者・行方不明者が3064人、家屋の流失が4034軒、倒壊が1817軒、浸水が401軒でした。最大の津波は岩手県綾里の25mで、襟裳で14m、広尾で3.5m、浦河で2.7mでした。プレート自体の破壊が原因となった巨大な正断層型地震と考えられています。地震の規模はM8.1でした。

七尾湾地震(1933年)

西暦1933年(昭和8年)9月21日に発生し、石川県能登地方に被害をもたらした地震です。石川県鹿島郡で死者が3人、負傷者が55人、家屋の全壊が2軒でした。地震の規模はM6.0でした。

静岡地震(1935年)

西暦1935年(昭和10年)7月11日に発生し、静岡県中部に被害をもたらした地震です。静岡市の有度山周辺に被害が集中し、死者が9人、負傷者が299人、住家の全壊が363軒でした。また、清水港で岸壁や倉庫が大破し、道路や鉄道にも被害がありました。地震の規模はM6.4でした。

昭和11年〜昭和15年

河内大和地震(1936年)

西暦1936年(昭和11年)2月21日に発生し、大阪府南東部から奈良県北部を中心に被害をもたらした地震です。地震による被害は死者が9人(大阪府8人、奈良県1人)、負傷者が59人(大阪府52人、奈良県7人)、家屋の全半壊が148軒でした。地面の亀裂や噴砂・湧水現象も見られました。地震の規模はM6.4、最大震度は5でした。

宮城県沖地震(1936年)

西暦1936年(昭和11年)11月3日に宮城県沖で発生した地震です。この地震により、宮城県で負傷者が4人、宮城・福島両県で非住家の全壊が3軒ありました。また、八戸で67cm、気仙沼漁港で28cm、女川で67cm、石巻で20cm、小名浜で18cmの津波がありました。地震の規模はM7.4でした。

新島地震(1936年)

西暦1936年(昭和11年)12月27日に新島・神津島近海で発生した地震です。新島で死者が2人、負傷者が70人、家屋の全壊が38軒あり、式根島で死者が1人、家屋の全壊が1軒ありました。地震の規模はM6.3でした。

屈斜路湖地震(1938年)

西暦1938年(昭和13年)5月29日に釧路地方北部で発生した局地的な地震です。地震による被害は死者が1名、家屋の全半壊が44軒でした。また、屈斜路湖内の和琴半島で火山性の噴気が活発化し、また、水位の変動や湖底の断層からの有毒ガスの噴出があり、この有毒ガスのために屈斜路湖の魚は全滅したと言われています。地震の規模はM6.1でした。

宮古島北西沖地震(1938年)

西暦1938年(昭和13年)6月10日に宮古島北西沖で発生し、平良港に高さ1.5mの津波をもたらした地震です。棧橋が流失し、帆船に被害がありました。地震の規模はM7.2でした。

福島県東方沖地震(1938年)

西暦1938年(昭和13年)11月5日17:43、19:50、6日17:54に福島県沖で発生した地震です。福島県で死者が1人、住家の全壊が4軒、非住家の全壊が16軒あり、小名浜や鮎川などで約1mの津波もありました。地震の規模はそれぞれM7.5、M7.3、M7.4でした。

男鹿地震(1939年)

西暦1939年(昭和14年)5月1日14:48、15:00に発生し、秋田県沿岸北部の被害をもたらした地震です。男鹿半島の頸部での被害が大きく、死者が27人、負傷者が52人、住家の全壊が479軒でした。また、軽微な津波があり、半島西部では最大44cmの隆起がありました。地震の規模はそれぞれM6.8、M6.7でした。

積丹半島沖地震(1940年)

西暦1940年(昭和15年)8月2日に北海道北西沖で発生した地震です。最大震度は倶知安、神恵内、留萌、羽幌、苫小牧、八雲などで4と大きくはありませんが、津波による被害が大きく、利尻島で3m、天塩と羽幌で2mの津波が発生し、京都でも1mの津波が観測されました。天塩川の河口付近での被害が大きく、津波で10人が死亡し、建物の流出が20軒、船舶の流出が644槽ありました。地震の規模はM7.5でした。

昭和16年〜昭和20年

長沼地震(1941年)

西暦1941年(昭和16年)7月15日に長野県北部で発生した地震です。長沼、古里、若槻、浅川、豊野一帯で住家の倒壊等の被害があり、死者が5人、負傷者が18人、家屋の全壊が29軒、半壊が115軒、非住家の全壊が48軒、半壊が122軒でした。震源は長野市赤沼付近で、地震の規模はM6.2、最大震度は長沼で6でした。

日向灘地震(1941年)

西暦1941年(昭和16年)11月19日に日向灘で発生し、大分・宮崎・熊本県に被害をもたらした地震です。全体で死者が2人、負傷者が18人、建物の全壊が27軒の被害でした。最大の被害だったのが人吉市で、死者が1人、負傷者が5人、住家の全壊が6軒でした。延岡、宮崎、宇和島、宿毛でも被害がありました。また、日向市細島の検潮場で地盤が約8cm沈降しました。日向灘沿岸で津波があり、最大の波高は1mでした。地震の規模はM7.2、宮崎市、延岡市、宿毛市、人吉市で最大震度5でした。

鳥取県東部地震(1943年)

西暦1943年(昭和18年)3月4日と5日に鳥取県東部で発生した地震です。2回の地震で軽傷者が11人、建物(含非住家、塀など)の倒壊が68軒でした。地震の規模はいずれもM6.2でした。

田島地震(1943年)

西暦1943年(昭和18年)8月12日に福島県会津地方で発生した内陸地震です。被害は負傷者が2人、土蔵は住家の壁落ちや亀裂、崖崩れなどでした。地震の規模はM6.2でした。

鳥取地震(1943年)

西暦1943年(昭和18年)9月10日に鳥取県東部で発生し、甚大な被害をもたらした地震です。震源は同年3月の地震とほぼ同じで、深さ0kmと地表に近いところでした。鳥取測候所で震度6(当時の最大震度)が観測されました。この地震により鳥取市街の南西に広がる丘陵部で地表にずれが現れ、鹿野-吉岡断層と命名されました。

被害は主に鳥取平野の地盤の弱い地域に集中し、多数の家屋が倒壊しました。また、発生した時刻が17時36分で炊事が行われていた時間帯であったため、火災が発生しました。死者が1083人、負傷者が3259人、家屋の全壊が7485軒という大きな被害でした。地震の規模はM7.2で、翌日にはM6.2の最大余震もありました。

長野県北部の地震(1943年)

西暦1943年(昭和18年)10月13日に野尻湖付近で発生した地震です。死者が1人、住家の全壊が14軒、半壊が66軒などの被害がありました。地震の規模はM5.9でした。

昭和東南海地震(1944年)

西暦1944年(昭和19年)12月7日に発生した駿河トラフと南海トラフ沿いを震源域とする地震で、海洋プレートの沈み込みによるものです。静岡県と三重県で震度6(当時の震度階級の最大)を、愛知県、岐阜県、福井県、山梨県、滋賀県及び奈良県で震度5を観測しました。三重県では熊野灘沿岸の津波被害が、愛知県では名古屋市から半田市にかけての埋立地にある軍需工場が集中する地区での被害が、静岡県では沖積平野地区の住家被害が見られました。軍事政権下での情報統制により詳細な被害状況は不明ですが、全体で死者が1183人、住家の全壊が18143軒、半壊が36638軒、流失が2400軒と言われています。また、津波の波高は熊野灘沿岸で6〜8m、遠州灘沿岸で1〜2mでした。さらに、紀伊半島東岸で30〜40cm地盤が沈下しました。地震の規模はM7.9でした。

東南海地震は甚大な災害でしたが、報道管制により国民に殆ど知らされませんでした。一方、対戦国であったアメリカでは日本で大地震があったことが新聞に掲載されていました。

三河地震(1945年)

西暦1945年(昭和20年)1月13日に愛知県南部で発生した地震で、プレート内の活断層(深溝ふこうず断層)の活動による内陸直下型地震です。この地震により陸上に延長約18km、海底に延長約10km、垂直変位が最大2mの逆断層が生じました。幡豆郡、碧海郡での被害が大きく、死者が2306人、負傷者3866人、住家の全壊が7221軒、半壊が16555軒でした。地震の規模はM6.8でした。

昭和東南海地震(M7.9)と比較すると三河地震(M6.8)は1/40ほどのエネルギーですが、直下型地震であったため局地的に大きな被害になりました。

なお、この地震も報道管制によりほとんど報道されませんでした。幕末に発生した安政の東海地震と南海地震が江戸幕府の弱体化を招き大政奉還に至ったように、これらの大地震が軍事政権に打撃を与え、終戦に至ったと言えるのでしょう。被災者に十分な救済を施せないような政府が国民から見放されるのは当然のことです。

青森県東方沖地震(1945年)

西暦1945年(昭和20年)2月10日に青森県東方沖で発生した地震です。死者が2人、家屋倒壊が2軒、の被害がありました。また、八戸で小さな津波がありました。地震の規模はM7.1でした。

まとめ

この記事をまとめます。

  • 昭和初期には北丹後地震、昭和三陸沖地震、鳥取地震、昭和東南海地震、三河地震と千人を超える死者が発生する地震がありました
  • 昭和三陸沖地震と東南海地震では津波による大きな被害がありました
  • 昭和東南海地震と三河地震は戦時中の報道管制により国民にその存在がほとんど知らされませんでしたが、国力を削ぎ、終戦を早めることになりました

この記事は下記を参考にして作成しました。

宇津徳治,2004,世界の被害地震の表(古代から2002年まで),宇津徳治先生を偲ぶ会,東京,電子ファイル最終版.
東京大学地震研究所 応用地震学研究室ホームページ
地震本部ホームページ
山陰海岸ジオパーク推進協議会事務局ホームページ
静岡県東部地域局【公式】
熊谷地方気象台ホームページ
内閣府防災情報のページ
柏原市役所ホームページ
仙台管区気象台ホームページ
内閣府防災情報のページ
長野市ホームページ
鳥取気象台ホームページ
名古屋地方気象台ホームページ
内閣府防災情報のページ
一般財団法人 日本防火・防災協会ホームページ

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