はじめに
太古から地震に伴う津波が発生していたことは地質調査で明らかになっています。
しかし、いつ、どこで発生したのかをある程度の確度で知ることができるのは文字情報、つまり、古文書が現れてからのことです。日本では、西暦684年(天武13年)の白鳳地震による津波が初めて記録された津波と言われています。
この記事では、江戸時代(1700年台)に日本を襲った津波をまとめます。

江戸時代(2)
元禄関東地震
1703年12月31日(元禄16年11月23日)に関東南部に大きな被害をもたらした地震です。相模湾を震源とする相模トラフで発生した海溝型の巨大地震で、地震の規模はM7.9〜M8.2と推定されており、大正12年に発生した関東大震災のひとつ前の関東地震と言われています。
相模・武蔵・上総・安房で揺れが大きく、特に小田原領で被害が大きく、城下は全滅し、12ヶ所から出火し、小田原領では死者が2,291人、建屋の倒壊が約8,000棟でした。また、伊豆諸島や房総半島には高さ10m前後の津波が押し寄せました。房総では津波による被害が大きく、死者が6,534人、建屋の倒壊が9,610棟、津波による流出が5,295棟でした。館山市相浜や南房総市(旧和田町)で津波の波高が10mを超えていたようです。
山武市松ヶ谷には1709年に建立された千人塚(元禄大津波供養碑)が現存している他、九十九里町や静岡県伊東市に供養塔が現存しています。

宝永地震
西暦1707年10月28日(宝永4年10月4日)に西日本に莫大な被害をもたらした地震で、日本における最大級の地震です。東海地震、東南海地震、南海地震が連鎖的にほぼ同時に発生した南海トラフ巨大地震で、地震の規模はM8.6と推定されています。
最大震度は7で、九州から関東までの広い範囲で震度5以上と推定されています。また、津波高は最大で22mで、東海から九州までの広い範囲で観測されています。震害や津波によって倒壊(流失)した家屋は約29,000棟、死者は約4,900人と推定されていますが、大阪で倒壊家屋が4,015棟、 死者が15,263人という史料もあり、全死者数が20,000~25,000人だった可能性もあります。
千葉県、三重県、和歌山県、高知県、大分県に多数の津波の慰霊碑等が残されています。
寛保津波
1741年8月26日(寛保元年7月16日)に渡島大島が噴火し、8月29日に山体崩壊による津波が発生して北海道渡島半島から津軽半島にかけて襲いました。この津波によって松前弁天島から旧熊石村(現八雲町)まで被害を受け、溺死者が1,467人、流失倒壊家屋が791軒でした。
北海道松前郡松前町の光明寺には光明寺寛保津波の碑が、泉龍院には泉龍院寛保津波の碑が残されています。

宝暦佐渡地震
1762年10月31日(宝暦12年9月15日)に佐渡に被害をもたらした地震です。石垣や家屋が破損し、死者もありました。津波により鵜島村で潮入りが5棟、願村で流出が18棟ありました。新潟では地割れを生じ、砂と水を噴出しました。酒村でも津波による家屋流出が26棟ありました。
宝暦の八戸沖地震
1763年1月29日(宝暦12年12月16日)に陸奥八戸に被害をもたらした地震です。津波が発生し、家屋の破損が多数ありました。また、河川の溢水により田畑の多数が埋没しました。平館、田名部、大畑で家行くの倒壊が5軒で死者が4人あり、函館でも強く揺れました。
また、3月15日(宝暦13年2月1日)に発生した余震で陸奥八戸で津波等による被害があり、馬の流失も多数ありました。
日向・豊後・肥後の地震
1769年8月29日(明和6年7月28日)に日向、豊後、肥後に被害をもたらした地震です。震源は佐伯湾沖で大分、臼杵、佐伯で震度6、国東で震度5と推定されています。佐伯城の石垣が崩れ、城下では家屋が倒壊しました。臼杵では家屋の倒壊が531軒、大分では城内の石垣の崩れが8ヶ所、楼門破損、家屋の倒壊が271軒でした。延岡城の破損も大きく、家屋全壊が多数あり、津波もありました。熊本領内でも、死者1人、家屋倒壊115棟ありました。さらに、宇和島でも強く揺れ、津波もありました。
明和大津波
1771年4月24日(明和8年3月10日)に石垣島近海(石垣島の南南東約40km付近)で発生した地震による津波で、「明和の八重山津波」と称されています。揺れによる被害は記録されていませんが、津波による被害が大きく、先島諸島に最大約30mの高さの津波が押し寄せ、家屋流失が約2,000棟、死者・行方不明者が約12,000人という大きな被害がありました。
沖縄県宮古島には「乾隆三十六年大波の碑」が残されています。
寛政の島原地震
1792年5月21日(寛政4年4月1日)に発生した「島原大変肥後迷惑」と称されている地震です。寛政3年から寛政4年にかけて、普賢岳で溶岩流出を伴う噴火活動がありました。一旦、噴火活動が終息したかに見えた寛政4年4月1日に島原半島の直下で地震が発生し、それと同時に眉山の一部である天狗山の1/6が大崩壊し、麓の島原城下では人家が破壊され、多くの死者が出ました。さらに、3億立方メートル以上の崩壊土砂が島原湾へ達したために発生した津波により、対岸の熊本県側にも大被害をもたらしました。この結果、島原・熊本両地域で死者合計約15,000人、家屋流失6000棟以上と、日本での火山災害史上最大の被害をもたらした大災害になりました。津波の遡上高は肥後側で15~20メートル、天草でも20メートルを超え、島原では60メートル近い記録もあります。地震の規模はM6.4±0.2と推定されています。
長崎県島原市、雲仙市、熊本県玉名市ほかに多数の供養塔が残されています。
寛政地震
1793年2月17日(寛政5年1月7日)に陸前、陸中、磐城に被害をもたらした地震です。仙台藩で死者が12人、家屋損壊が1060棟以上ありました。陸中から常陸にかけて津波がありました。岩手県南部から宮城県北部にかけての浸水高は4~5m級と考えられています。
宮城県沖の巨大地震で、地震の規模はM8.0〜M8.4と推定されています。
まとめ
この記事をまとめます。
この記事は下記を参考にして作成しました。
国土地理院ホームページ
千葉県ホームページ
東北大学ホームページ
歴史地震,第29号(2014)153-162.





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