過去に発生した地震(7) 江戸時代(4)

過去に発生した地震(7) 『江戸時代(4)』 自然災害に備えるブログ Ready Japan 地震
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この記事は下記の方にお勧めです。

・過去に発生した地震について知りたい方
・歴史に興味がある方

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はじめに

太古から地震が発生していたことを疑う人はいないのではないでしょうか。地層を調べることにより、断層や津波の痕跡から、おおよその地震発生の年代を知ることがあります。

しかし、いつ、どこで発生したのかをある程度の確度で知ることができるのは文字情報、つまり、古文書が現れてからのことです。日本では、西暦416年(允恭5年)の遠飛鳥宮とおつあすかのみや付近で発生した地震が文字情報のある最古の地震と言われています。

この記事では、江戸時代中期(1751年〜1800年)に日本で発生した主な地震についてまとめます。

江戸時代(4)

越後高田地震(1751年)

西暦1751年5月21日(寛延4年4月26日)に高田付近を震央として越後西部に発生した地震です。「名立崩れ」とも言われており、旧高田市から西方へ10kmの位置にある名立小泊では、この地震による山崩れにより、民家のほとんど全部が埋没、あるいは倒壊し、村人の80%が亡くなりました。また、高田城が破損し、全体で死者2000人で家屋全壊及び焼失が6088棟でした。地震の規模はM7.0〜M7.4と推定されています。

宝暦佐渡地震(1762年)

西暦1762年10月31日(宝暦12年9月15日)に佐渡に被害をもたらした地震です。石垣や家屋が破損し、死者もありました。津波により鵜島村で潮入りが5戸,願村で流出18戸ありました。新潟では地割れを生じ,砂と水を噴出しました。酒村でも津波により家屋流出が26棟ありました。地震の規模はM7.0と推定されています

宝暦の八戸沖地震(1763年)

西暦1763年1月29日(宝暦12年12月16日)に陸奥八戸に被害をもたらした地震です。津波が発生し、家屋の破損が多数ありました。また、河川の溢水により田畑の多数が埋没しました。平館、田名部、大畑で家行くの倒壊が5軒で死者が4人あり、函館でも強く揺れました。地震の規模はM7.4と推定されています

陸奥八戸の地震(1763年)

西暦1763年3月11日(宝暦12年1月27日)に発生した宝暦の八戸沖地震の最大余震です。建物の倒壊がありました。地震の規模はM7.3と推定されています

陸奥八戸の地震(1763年)

西暦1763年3月15日(宝暦13年2月1日)に発生した宝暦の八戸沖地震の余震です。陸奥八戸で津波等により被害があり、馬の流失も多数ありました。また、城の塀が倒れ、御朱印蔵の屋根が破損しました。地震の規模はM7.0と推定されています

明和津軽地震(1766年)

西暦1766年3月8日(明和3年1月28日)に津軽に被害をもたらした地震です。津軽山地西縁断層帯北部の活動によるものと言われています。江戸時代に津軽領内で最大の被害を出した地震で、弘前城が破損し、各地に地割れが発生しました。地震の規模はM7.3と推定されています

領内全体の被害は、全壊半壊家屋は合計約6000軒、焼失家屋は約250軒、圧死者約900人、焼死者約300人でした。明和3年はまれにみる豪雪の年だったため、雪の重みで家屋の倒壊率を上昇させました。また、発生時期が冬だったため多くの家で暖房用に火器を使用しており、倒壊家屋に引火し、火災が発生しました。豪雪地帯の災害対策の教訓になる地震です。

日向・豊後・肥後の地震(1769年)

西暦1769年8月29日(明和6年7月28日)に日向、豊後、肥後に被害をもたらした地震です。震源は佐伯湾沖で大分、臼杵、佐伯で震度6、国東で震度5と推定されています。佐伯城の石垣が崩れ、城下では家屋が倒壊しました。臼杵では家屋の倒壊が531軒、大分では城内の石垣の崩れが8ヶ所、楼門破損、家屋の倒壊が271軒でした。延岡城の破損も大きく、家屋全壊が多数あり、津波もありました。熊本領内でも、死者1人、家屋倒壊115棟ありました。さらに、宇和島でも強く揺れ、津波もありました。地震の規模はM7.8と推定されています

八重山・宮古群島地震(1771年)

西暦1771年4月24日(明和8年3月10日)に石垣島近海(石垣島の南南東約40km付近)で発生した地震です。揺れによる被害は記録されていませんが、「明和の八重山津波」と称されているように津波による被害が大きく、先島諸島に最大約30mの高さの津波が押し寄せ、家屋流失が約2000軒、死者・行方不明者が約12000という大きな被害がありました。地震の規模はM7.4と推定されています

陸奥の地震(1772年)

西暦1772年6月3日(明和9年5月3日)に陸前、陸中に被害をもたらした地震です。盛岡、遠野、宮古、大槌、沢内で被害があり、落石や山崩れにより死者が12人でした。1987年1月9日の地震に似ており、海岸近くのやや深い地震の可能性があると言われています。地震の規模はM6.8と推定されています

石見の地震(1778年)

西暦1778年2月14日(安永7年1月18日)に石見に局地的な被害をもたらした地震です。波佐村で石垣が崩れ、極楽寺山、大野村、都茂村で落石があり、三隅川沿いで山崩れや家屋の倒壊があり、安芸より備前まで強く揺れました。地震の規模はM6.5と推定されています

庄内の地震(1780年)

西暦1780年7月20日(安永9年6月19日)に酒田に被害をもたらした地震です。酒田で土蔵の損壊や小家の損壊が1軒と死者2名あり、余目で家屋の損傷、金浦で落石がありました。地震の規模はM6.5と推定されています

天明小田原地震(1782年)

西暦1782年8月23日(天明2年7月15日)に相模、武蔵、甲斐に被害をもたらした地震です。小田原城が破損し、人家約800軒が破損しましたが、死者の記録はありません。箱根、大山、富士山で山崩れがあり、江戸でも家屋の倒壊や死者がありました。地震の規模はM7.0と推定されています

箱根の群発地震(1786年)

西暦1786年3月23日(天明6年2月24日)に箱根で発生した群発地震です。2日間で地震が約100回発生し、落石で人家に被害がありました。また、関所の石垣などが破損しました。有史以来初めて記録された箱根での群発地震です。

阿波の地震(1789年)

西暦1789年5月11日(寛政元年4月17日)に阿波で発生した地震です。阿波富岡町で文珠院や町屋の土蔵に被害があり、山崩れもありました。津波で南部の沿岸地方や土佐室津などの広範囲に比較的軽い被害がありました。地震の規模はM7.0と推定されています

川越・蕨の地震(1791年)

西暦1791年1月1日(寛政2年11月27日)に川越や蕨に局地的な被害をもたらした地震です。蕨で堂塔の転倒、土蔵などの破損があり、川越で喜多院の本社屋根等が破損しました。地震の規模はM6.0〜M6.5と推定されています

松本の地震(1791年)

西暦1791年7月23日(寛政3年6月23日)に松本に被害をもたらした地震です。松本城の塀などが崩れ、民家の損壊が495棟ありました。松本で震度6と推定されています。地震の規模はM6.8と推定されています

寛政の島原地震(1792年)

西暦1792年5月21日(寛政4年4月1日)に発生した「島原大変肥後迷惑」と称されている地震です。寛政3年から寛政4年にかけて、普賢岳で溶岩流出を伴う噴火活動がありました。一旦、噴火活動が終息したかに見えた寛政4年4月1日に島原半島の直下で地震が発生し、それと同時に眉山の一部である天狗山の1/6が大崩壊し、麓の島原城下では人家が破壊され、多くの死者が出ました。さらに、3億立方メートル以上の崩壊土砂が島原湾へ達したために発生した津波により、対岸の熊本県側にも大被害をもたらしました。この結果、島原・熊本両地域で死者合計約15000人、家屋流失6000軒以上と、わが国の火山災害史上最大の被害をもたらした大災害になりました。津波の遡上高は肥後側で15~20メートル、天草でも20メートルを超え、島原では60メートル近い記録もあります。地震の規模はM6.4±0.2と推定されています

後志地震(1792年)

西暦1792年6月13日(寛政4年4月24日)に後志で発生した地震です。津波により忍路で港頭の岸壁が崩れ、海岸に引き上げていたアイヌの船が漂流しました。また、出漁中のアイヌ人が5人溺死しました。地震の規模はM7.1と推定されています

長門・周防の地震(1793年)

西暦1793年1月13日(寛政4年12月2日)に長門、周防、筑前に被害をもたらした地震です。防府で住家の損壊が多数あり、筑前でも小さな被害がありました。地震の規模はM6.4と推定されています

寛政の鰺ヶ沢地震(1793年)

西暦1793年2月8日(寛政4年12月28日)に西津軽に被害をもたらした地震です。鰺ヶ沢、木造、金木で被害があり、死者12人、家屋全半壊が425棟ありました。また、大戸瀬を中心に約12kmの沿岸が最高3.5m隆起しました。津軽山地西縁断層帯が震源で、地震発生よりも前に海水が引く前兆現象がありました。地震の規模はM6.9〜M7.1と推定されています

寛政地震(1793年)

西暦1793年2月17日(寛政5年1月7日)に陸前、陸中、磐城に被害をもたらした地震です。仙台藩で死者が12人、家屋損壊が1060棟以上ありました。陸中から常陸にかけて津波がありました。宮城県沖の巨大地震と考えられています。地震の規模はM8.0〜M8.4と推定されています

金沢地震(1799年)

西暦1799年6月29日(寛政11年5月26日)に加賀で発生した直下型地震です。上下動が激しく、屋根石が1尺も飛び上がったと言われています。金沢城で石垣が破損し、金沢城下で家屋全壊が26棟、能美・石川・河北郡で家屋全壊が964棟、死者は全体で21人でした。また、金沢市、内灘町で液状化履歴が確認されています。地震の規模はM6.0と推定されています

まとめ

この記事をまとめます。

  • 越後高田地震、明和津軽地震、島原地震といった大きな被害をもたらした大地震が発生しました
  • 宝暦佐渡地震、宝暦の八戸沖地震、八重山・宮古群島地震、島原地震、後志地震、鰺ヶ沢地震、寛政地震では津波による被害も発生しました

この記事は下記を参考にして作成しました。

宇津徳治,2004,世界の被害地震の表(古代から2002年まで),宇津徳治先生を偲ぶ会,東京,電子ファイル最終版.
東京大学地震研究所 応用地震学研究室ホームページ
地震本部ホームページ
内閣府 防災情報のページ
災害伝承情報データベース
青森市民図書館歴史資料室 あおもり歴史トリビア
大分県ホームページ
国立国会図書館東日本大震災アーカイブ
石垣島地方気象台ホームページ
国土交通省北陸地方整備局ホームページ

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