過去に発生した地震(6) 江戸時代(3)

過去に発生した地震(6) 『江戸時代(3)』 自然災害に備えるブログ Ready Japan 地震
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この記事は下記の方にお勧めです。

・過去に発生した地震について知りたい方
・歴史に興味がある方

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はじめに

太古から地震が発生していたことを疑う人はいないのではないでしょうか。地層を調べることにより、断層や津波の痕跡から、おおよその地震発生の年代を知ることがあります。

しかし、いつ、どこで発生したのかをある程度の確度で知ることができるのは文字情報、つまり、古文書が現れてからのことです。日本では、西暦416年(允恭5年)の遠飛鳥宮とおつあすかのみや付近で発生した地震が文字情報のある最古の地震と言われています。

この記事では、江戸時代中期(1701年〜1750年)に日本で発生した主な地震についてまとめます。

江戸時代(3)

元禄関東地震(1703年)

西暦1703年12月31日(元禄16年11月23日)に関東南部に大きな被害をもたらした地震です。相模湾を震源とする相模トラフで発生した海溝型の巨大地震で、地震の規模はM7.9〜M8.2と推定されており、大正12年に発生した関東大震災のひとつ前の関東地震と言われています。

相模・武蔵・上総・安房で揺れが大きく、特に小田原領で被害が大きく、城下は全滅し、12ヶ所から出火し、小田原領では死者が2291人、建屋の倒壊が約8000棟でした。また、伊豆諸島や房総半島には高さ10m前後の津波が押し寄せました。房総では津波による被害が大きく、死者が6534人、建屋の倒壊が9610棟、津波による流出が5295棟でした。

全体では約10000人の死者、約22000棟の建物の被害で、元禄関東地震は大正関東地震よりもやや規模が大きかったと推定されています。一方、江戸では直後に火災も発生せず、幕府が江戸市民に救済令を出したという記録がなく、大火災に見舞われた大正関東地震ほどの被害ではなかったようです。

羽後・陸奥の地震(1704年)

西暦1704年5月27日(宝永元年4月24日)に羽後と陸奥に被害をもたらした地震です。能代で家屋倒壊が435棟、焼失が758棟で、能代と岩崎間で死者が58人でした。

山崩れが多く発生し、十二湖が生じました。また、岩館付近の海岸では最大190cmの隆起があり、弘前でも城や民家などに被害がありました。地震の規模はM7.0程度と推定されています。

宝永地震(1707年)

西暦1707年10月28日(宝永4年10月4日)に西日本に莫大な被害をもたらした地震で、日本における最大級の地震です。東海地震、東南海地震、南海地震が連鎖的にほぼ同時に発生した南海トラフ巨大地震で、地震の規模はM8.6と推定されています。

最大震度は7で、九州から関東までの広い範囲で震度5以上と推定されています。また、津波高は最大で22mで、東海から九州までの広い範囲で観測されています。震害や津波によって倒壊(流失)した家屋は約29000棟、死者は約4900人と推定されていますが、大坂で倒壊家屋が4015棟、 死者が15,263人という史料もあり、全死者が20000~25000人だった可能性もあります。

また、地殻変動もあり、室戸、串本、御前崎での1〜2mの隆起や、高知市東部の市街地の約20km2が最大 2m沈下しました。さらに、道後温泉(愛媛県)や湯田温泉(山口県)で温泉の湧出が止まりました。

宝永余震(1707年)

西暦1707年10月29日(宝永4年10月5日)に宝永地震の最大余震があり、駿河と甲斐に被害をもたらしました。家屋の倒壊が739棟、寺の倒壊が254件,死者が24人という記録があります。
地震の規模はM6.7〜M7.0と推定されています。

さらに、11月23日には富士山が大噴火し、宝永火口ができました。この噴火は宝永地震と関連づけられています。

防長の地震(1707年)

西暦1707年11月21日(宝永4年10月28日)に防長に被害をもたらした地震です。佐波郡上徳地村で死者3人、負傷者15人、家屋倒壊289棟との記録があります。地震の規模はM5.5と推定されています。

紀伊半島沖地震(1707年)

西暦1708年2月13日(宝永5年1月22日)に紀伊、伊勢、京都に被害をもたらした地震です。津波が発生し紀伊では塩田が浸水しました。宝永地震の余震と考えられています。

伯耆の地震(1710年)

西暦1710年10月3日(宝永7年閏8月11日)に伯耆に被害をもたらした地震です。河村郡と久米郡で被害が大きく、山崩れがありました。また、倉吉、八橋町、大山、鳥取でも被害が発生しました。伯耆で死者75人、家屋倒壊が1092棟でした。地震の規模はM6.5と推定されています。

美作・伯耆の地震(1711年)

西暦1711年3月19日(宝永8年2月1日)に美作と伯耆に被害をもたらした地震です。大山で山崩れが発生しました。因幡と伯耆の両国で死者4人、家屋倒壊380棟でした。地震の規模はM6.5〜M6.8と推定されています。

信濃小谷地震(1714年)

西暦1714年4月28 日(正徳4年3月15日)に信濃北西部に被害をもたらした地震です。姫川に沿った小谷村を中心に激震が襲い、岩戸山西側山麓の坪ノ沢地区が崩壊によって埋没しました。大町組(大町以北の北安曇郡)全体で死者56人、負傷者37人、住家全壊194棟でした。善光寺でも被害がありました。

神城断層の活動によるものと推定されており、2014年11月22日の「長野県神城断層地震」と震源が一致しています。神城断層は糸魚川静岡構造線活断層帯の長野県の最北部を占める断層です。地震の規模はM6.3と推定されています。

揖斐・美濃の地震(1715年)

西暦1715年2月2日(正徳4年12月28日)に大垣、名古屋、福井に被害をもたらした地震です。大垣城と名古屋城で石垣が崩れ、土蔵に痛み多く、塀もかなり崩れました。福井では崩家があり、奈良、京都、伊賀上野、松本で地震の揺れが感じられました。名古屋での震度は4~5と推定されています。地震の規模はM6.5〜M7.0と推定されています。

宮城県沖地震(1717年)

西暦1717年5月13日(享保2年4月3日)に仙台や花巻に被害をもたらした地震です。仙台城の本丸と二丸の石垣が崩れ、神社等の石灯籠はほとんど倒壊しました。階上村では津波で田畑に被害があり、花巻では家屋の破損が多く、地割れや泥の噴出がありました。地震の規模はM7.5と推定されています。

遠山谷の地震(1718年)

西暦1718年8月22日(享保3年7月26日)に伊那や三河に被害をもたらした地震です。伊那国遠山谷で番所が全壊し、森平山が崩れ、死者5人でした。また、遠山川が堰き止められて天然ダムが発生し、後に決壊して死者50余人出ました。飯田領内での死者は12人、家屋の全壊が350棟余ありました。飯田から天龍川沿いに三河国境まで山崩れが多区発生し、三河と遠江でも強い揺れがありました。地震の規模はM7.0と推定されています。

肥後・豊後・筑後の地震(1723年)

西暦1723年12月19日(享保8年11月22日)に肥後、豊後、筑後に被害をもたらした地震です。肥後で家屋の倒壊が980軒(うち584軒は半壊)あり、死者は2人、負傷者25人でした。熊本城内は別条ありませんでした。筑後と豊後でも家屋の倒壊がありました。地震の規模はM6.5と推定されています。

享保加賀小松地震(1725年)

西暦1725年6月17日(享保10年5月7日)に小松で発生した地震です。城の石垣や蔵等が少々破損しました。1日に69回の地震があり、金沢でも4〜5回の有感地震がありました。地震の規模はM6.0と推定されています。

高遠・諏訪の地震(1725年)

西暦1725年8月14日(享保10年7月7日)に高遠と諏訪に被害をもたらした地震です。高遠城と諏訪高島城の石垣、塀、土居が崩れ、諏訪では郷村36ヶ村で死者4人、負傷者8人、家屋全壊347棟の被害がありました。地震の規模はM6.0〜M6.5と推定されています。

能登・佐渡の地震(1729年)

西暦1729年8月1日(享保14年7月7日)に能登と佐渡に被害をもたらした地震です。珠洲郡と鳳至郡で死者5名、家屋の全壊と損壊が791棟ありました。また、輪島村で家屋の全壊が28棟あり、能登半島先端での被害が大きかった地震です。地震の規模はM6.6〜M7.0と推定されています。

岩代(宮城県南部)の地震(1731年)

西暦1731年10月7日(享保16年9月7日)に宮城県南部に被害をもたらした地震です。桑折で家屋の倒壊が300棟以上あり、橋が84梁落ちました。白石城の石垣、塀、矢倉などが崩れ、居家21軒、町屋12棟、土蔵18棟が倒壊し、死者もありました。周辺の村では居家57軒、土蔵5棟が倒壊し、七ヶ宿でも家や土蔵の壁が落ち、材木や岩が落ちました。蔵王の高湯でも家の破損が多く、小原温泉では山が崩れ、泉脈が絶えました。仙台城でも小破損があり、梁川で壁が崩れ、藤田町で家屋が16~17軒破損しました。地震の規模はM6.5と推定されています。

安芸の地震(1733年)

西暦1733年9月18日(享保18年8月11日)に発生した地震です。広島領内の奥郡に被害がありました。地震の規模はM6.6と推定されています。

仙台の地震(1736年)

西暦1736年4月30日(享保21年3月20日)に発生した地震です。仙台で城の石塁や澱橋などが破損しましたが、その他の社寺は無事でした。余目、大江町、大迫町、江戸で揺れを感じ、余震が数十回ありました。地震の規模はM6.0と推定されています。

寛保の渡島半島津波(1741年)

西暦1741年8月29日(寛保元年7月18日)に発生した津波です。渡島大島の噴火による山体崩壊によって発生した大津波で、渡島半島西岸から津軽半島に大きな被害が発生し、467人の死者と791棟の流出家屋が発生しました。また、佐渡、能登、若狭にも津波が到達しました。

寛延伊予宇和島地震(1749年)

西暦1749年5月25日(寛延2年4月10日)に発生した地震です。宇和島城の破損や大分の千石橋の破損がありました。土佐、広島、岩国、佐賀、延岡でも揺れがありました。地震の規模はM6.8と推定されています。

まとめ

この記事をまとめます。

  • 元禄関東地震、宝永地震(南海トラフ巨大地震)といった大きな被害をもたらした大地震が発生しました
  • 宝永地震の後の富士山の噴火や、渡島大島の噴火による山体崩壊によって発生した大津波といった火山による大きな被害も発生しました

この記事は下記を参考にして作成しました。

宇津徳治,2004,世界の被害地震の表(古代から2002年まで),宇津徳治先生を偲ぶ会,東京,電子ファイル最終版.
東京大学地震研究所 応用地震学研究室ホームページ
地震本部ホームページ
内閣府 防災情報のページ
北陸地方整備局ホームページ
仙台管区気象台ホームページ
千葉県ホームページ
防災システム研究所ホームページ

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