過去に発生した地震(5) 江戸時代(2)

過去に発生した地震(5) 『江戸時代(2)』 自然災害に備えるブログ Ready Japan 地震
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この記事は下記の方にお勧めです。

・過去に発生した地震について知りたい方
・歴史に興味がある方

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はじめに

太古から地震が発生していたことを疑う人はいないのではないでしょうか。地層を調べることにより、断層や津波の痕跡から、おおよその地震発生の年代を知ることがあります。

しかし、いつ、どこで発生したのかをある程度の確度で知ることができるのは文字情報、つまり、古文書が現れてからのことです。日本では、西暦416年(允恭5年)の遠飛鳥宮とおつあすかのみや付近で発生した地震が文字情報のある最古の地震と言われています。

この記事では、江戸時代前期(1651年〜1700年)に日本で発生した主な地震についてまとめます。

江戸時代(2)

岩代・下野の地震(1659年)

西暦1659年4月21日(万治2年2月30日)に会津や那須に被害をもたらした地震です。死者39人、住家倒壊409棟以上で、塩原温泉元湯がほとんど土砂に埋まったと言われています。地震の規模はM6.9程度と推定されています。

寛文近江・若狭地震(1662年)

西暦1662年6月16日(寛文2年5月1日)に近畿地方北部、特に琵琶湖沿岸の城郭や市街地に大きな被害をもたらした地震で、山城・大和・河内・和泉・摂津・丹後・若狭・近江・美濃・伊勢・駿河・三河・信濃に影響がありました。被災地域全体で死者約700~900人、倒壊家屋約4000~4800軒と推定されています。
この地震は2つの地震が連続して発生したもので、巳刻みのこく(午前9~11時頃)に若狭湾沿岸の日向ひるが断層の活動により、午刻うまのこく(午前11~午後1時頃)に琵琶湖西岸の花折断層北部の活動により発生しました。震源から離れている京都でも町屋倒壊が1000軒、死者が200人と大きな被害になりました。
地震の規模はM7.4程度と推定されています。

外所とんところ地震(1662年)

西暦1662年10月31日(寛文2年9月20日)に日向灘で発生し、日向と大隅に被害をもたらした地震です。日向灘沿岸に被害があり、城の破損や家屋の倒壊が多く、死者もありました。また、山崩れや津波が発生し、宮崎県沿岸の7ヶ村が陥没して海になりました。
地震の規模はM7.6と推定されていましたが、2023年にM8級だった可能性を示す研究結果が発表されています。

琉球鳥島の地震(1664年)

西暦1664年に琉球鳥島で発生した地震です。付近の海底火山が噴火し、津波が発生し、死者1人との記録があります。

越後高田地震(1666年)

西暦1666年2月1日(寛文5年12月27日)に越後西部に被害をもたらした地震です。高田城の本丸、二の丸、三の丸が破損し、城下の侍屋敷約700軒や町家の大半が倒壊するなどの被害が発生しました。積雪が14〜15尺あったため、周りの雪壁により火災からの逃げ場を失う、氷柱つららが刺さる、屋根からの落雪の下敷きになるといった被害もありました。また、厳冬の中の避難生活が過酷であっただろうことは疑うまでもありません。地震の規模はM6.4程度と推定されています。

西蒲原地震(1670年)

西暦1670年6月22日(寛文10年5月5日)に越後国蒲原郡西部に被害をもたらした地震です。村上藩の上川領と四万石領で死者13人、家屋全壊503棟の被害がありました。地震の規模はM6.8程度と推定されています。

津和野地震(1676年)

西暦1676年7月12日(延宝4年6月2日)に石見に被害をもたらした地震です。津和野城や侍屋敷の石垣などに被害が発生し、死者7人、負傷者35人、家屋倒壊133棟との記録があります。地震の規模はM6.5程度と推定されています。

延宝の三陸沖地震(1677年)

西暦1677年4月13日(延宝5年3月12日)に陸中と陸奥に被害をもたらした地震です。八戸で揺れによる被害があり、1時間後に津波が来襲しました。家屋の被害は約70件と言われています。地震の規模はM8.0程度と推定されています。

延宝の房総沖地震(1677年)

西暦1677年11月4日(延宝5年10月9日)に磐城、常陸、安房、上総、下総に被害をもたらした地震です。磐城から房総にかけて津波があり、小名浜、中之作、薄磯、四倉、江名、豊間などで死者・行方不明者が約130人、水戸領内で溺死者が36人、房総で溺死者が246人、奥州岩沼領で死者が123人と言われています。津波は外房で波高4〜8mと推定され、伊豆諸島でも津波による被害が発生しました。地震の規模はM8.0程度と推定されていますが、揺れはあまり大きくなく震度4程度だったとみられていることから、陸地に近い海域で起きたM6程度の地震という説もあります。

陸奥・出羽の地震(1678年)

西暦1678年10月2日(延宝6年8月17日)に陸奥と出羽に被害をもたらした地震です。花巻で城の石垣が崩れや家屋も損壊が発生し、死者が1名出ました。また、白石城の石垣が崩れました。さらに、秋田や米沢で家屋に被害が発生し、会津若松城が小破しました。地震の規模はM7.5程度と推定されています。

天和の日光地震(1683年)

西暦1683年(天和3年)の4月から10月にかけて日光付近で地震が発生しました。4月頃から群発性の地震が続き、6月17日にM6.0~6.5、6月18日にM6.5~M7.0、10月20日にM7.0の大きな地震が発生しました。
6月17日の地震では東照宮の石垣などに被害が発生し、江戸でも揺れを感じられました。
6月18日の地震では石垣や灯籠がほとんど倒れ、夜中までに約200回の地震があり、江戸でも小さな被害がありました。
10月20日の地震では五十里村で生じた山崩れが川を塞ぎ、旧五十里湖が形成されました。この天然のダム湖は1723年に大雨により決壊し、下流域に甚大な被害をもたらしました。また、日光では山崩れで鬼怒川と稲荷川の水が流れず、修復半ばの石垣の崩れなどの被害がありました。
これらの地震は関谷断層で発生した可能性があります。

貞享じょうきょう芸予地震(1686年)

西暦1686年1月4日(貞享2年12月10日)に安芸と伊予に被害をもたらした地震です。萩城の塀や石垣の崩壊、武家屋敷の一部の破損、古い民家の倒壊や、岩国で武家屋敷の塀が壊れたり、多くの屋根瓦が落ちたり錦帯橋の台石がはみ出したとの記録があります。また、松山城の石垣が崩れました。安芸灘から伊予灘が震源で、フィリピン海プレート内部で発生した地震と考えられています。地震の規模はM7.2程度と推定されています。

遠江・三河地震(1686年)

西暦1686年10月3日(貞享3年8月16日)に遠江と三河に被害をもたらした地震です。遠江では新居の関所などに被害があり、三河では田原城内の櫓、武家屋敷、町屋敷が倒壊し、死者もありました。地震の規模はM7.0程度と推定されています。

能代地震(1694年)

西暦1694年6月19日(元禄7年5月27日)に能代に大きな被害をもたらした地震です。能代断層帯の活動により発生し、その被害は42ヶ村に及び、死者429人、家屋倒壊約1500棟、家屋焼失約1000棟でした。直下型地震で、地震の規模はM7.0程度と推定されています。

元禄相模・武蔵地震(1697年)

西暦1697年11月25日(元禄10年10月12日)に相模と武蔵に被害をもたらした地震です。鎌倉では鶴岡八幡宮の鳥居が倒れ、家屋の倒壊がありました・また、江戸城の石垣が崩れました。地震の規模はM6.5程度と推定されています。

元禄大分地震(1698年)

西暦1698年10月24日(元禄11年9月21日)に豊後に被害をもたらした地震です。府内城(大分城)の石垣や壁崩れ、岡城が破損し、高鍋城でも破損と石垣の崩れがありました。地震の規模はM6.0程度と推定されています。

壱岐・対馬の地震(1700年)

西暦1700年4月15日(元禄13年2月26日)に壱岐や対馬に被害をもたらした地震です。家屋全壊が89棟で、朝鮮半島南部でも被害が発生したと言われています。対馬東水道断層付近を震源域とし、地震の規模はM7.0程度と推定されています。

まとめ

この記事をまとめます。

  • 寛文近江・若狭地震、外所地震、房総沖地震、日光地震などの大きな被害をもたらした地震が発生しました
  • 豪雪地帯で発生した越後高田地震は雪のため避難ができないことによる被害も発生しており、現代においても教訓になります
  • 城郭に被害をもたらした地震の記録が多いようです

この記事は下記を参考にして作成しました。

防災システム研究所公式ホームページ
宇津徳治,2004,世界の被害地震の表(古代から2002年まで),宇津徳治先生を偲ぶ会,東京,電子ファイル最終版.
東京大学地震研究所 応用地震学研究室ホームページ
地震本部ホームページ
内閣府 防災情報のページ
科学技術振興機構 サイエンスポータル
新潟県ホームページ
栃木県ホームページ
山口県ホームページ

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