はじめに
太古から地震に伴う津波が発生していたことは地質調査で明らかになっています。
しかし、いつ、どこで発生したのかをある程度の確度で知ることができるのは文字情報、つまり、古文書が現れてからのことです。日本では、西暦684年(天武13年)の白鳳地震による津波が初めて記録された津波と言われています。
この記事では、江戸時代(1600年台)に日本を襲った津波をまとめます。

江戸時代(1)
慶長地震
1605年2月3日(慶長9年12月16日)に関東から九州南部の太平洋岸に津波の大きな被害をもたらした地震です。南海トラフの可能性がある地震と考えられています。
津波による被害は、千葉県房総(人馬数百死亡)、東京都八丈島(死者57人)、神奈川県三崎(死者153人)、静岡県伊豆(浸水)、舞坂(100戸中80戸が流出)、三重県伊勢(死者あり)、和歌山県広(1700戸中700戸が流出)、徳島県鞆浦(100人余水死)、宍喰(1500人余水死)、高知県甲浦(350人余死亡)、佐喜浜(50人余死亡)、室戸(400人余死亡)、鹿児島県薩摩・大隈(死者あり)他がありました。
一方、揺れによる被害の記録は少なく、「淡路島安坂村千光寺の諸堂倒れ、仏像が飛散した」とあるのみで、南方の遠地津波の可能性もあります。地震の規模はM7.9程度と推定されています。
慶長三陸地震
1611年12月2日(慶長16年10月28日)に三陸地方に被害をもたらした地震です。北海道も巨大津波に襲われたとも言われています。三陸沖もしくは根室沖が震源と考えられています。
津波は大波が3回あり、海鳴りもありました。 岩手県田老では推定津波高が20mです。津波による被害は、陸前高田市今泉で50人(溺死)、伊達政宗領内(仙台藩)で1,783人、南部・津軽で人馬3,000余、釜石市鵜住居(うずまい)・大槌町・横沢で800人、山田町船越で50人、山田で20人、宮古市津軽石で150人、相馬領で700人、北海道東部にも溺死者が多数でした。
また、仙台藩主の伊達政宗が「仙台平野のはずれの千貫山(岩沼市)まで津波が達した」と徳川家康に書状を送っています。地震の規模は三陸沖が震源の場合はM8.1と推定されています。
北海道駒ヶ岳の噴火津波
1640年7月31日に駒ヶ岳が大規模噴火し、山頂部が一部崩壊して岩屑なだれが大沼と内浦湾になだれ込んで津波が発生し、対岸にも押し寄せて各種船舶100隻余りが破壊され、700名余りが搦死しました。
この噴火により出来澗崎が形成され、大沼と小沼がほぼ現在の姿となりました。
外所(とんところ)地震
1662年10月31日(寛文2年9月20日)に日向灘で発生し、日向と大隅に被害をもたらした地震です。日向灘沿岸に被害があり、城の破損や家屋の倒壊が多く、死者が200人、家屋の全壊が3800棟の被害がありました。山崩れや津波が発生し、宮崎県沿岸の7ヶ村が地盤沈降と津波により家屋246棟が海に没し、水死者が15人でした。
地震の規模はM7.6と推定されていましたが、2023年にM8級だった可能性を示す研究結果が発表されています。

延宝の三陸沖地震
1677年4月13日(延宝5年3月12日)に陸中と陸奥に被害をもたらした地震です。八戸で揺れによる被害があり、1時間後に津波が来襲しました。家屋の被害は約70棟と言われています。人的被害を報告する資料はありません。地震の規模はM8.0程度と推定されています。
延宝の房総沖地震
1677年11月4日(延宝5年10月9日)に磐城、常陸、安房、上総、下総に被害をもたらした地震です。磐城から房総にかけて津波があり、小名浜、中之作、薄磯、四倉、江名、豊間などで死者・行方不明者が約130人、水戸領内で溺死者が36人、房総で溺死者が246人、奥州岩沼領で死者が123人と言われています。津波は外房で波高4〜8mと推定され、伊豆諸島でも津波による被害が発生しました。地震の規模はM8.0程度と推定されていますが、揺れはあまり大きくなく震度4程度だったとみられていることから、陸地に近い海域で起きたM6程度の地震という説もあります。
千葉県長生郡一宮町には供養塔が建てられています。

まとめ
この記事をまとめます。
この記事は下記を参考にして作成しました。
地震本部ホームページ
防災科学技術研究所 自然災害情報室
伊達市ホームページ
国土地理院ホームページ


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